2017年08月10日

頂仙岳に登る

頂仙岳を訪れた。7月は結局どこにも登れずじまいだったから、約ひと月半ぶりの山ということになる。頂仙岳は、奥駈道の明星ヶ岳から天川村役場のある川合に向かって延々と続く尾根上の一ピークでありながら、円錐形の整った容姿を見せる美しい山である。以前は林道を使ってかなり上部まで行程を稼げたから、狼平経由での弥山への日帰りルートとしても用いられたらしいが、6年前の台風で大きな被害を受けて林道が寸断されてしまい、今では川合から高低差1.300m近くを忠実に辿るしかなくなって、日帰りはなかなか難しくなってしまった。今回の頂仙岳への往復だけでも18㎞程度あり、登り5時間、下り3時間半という感じで歩いてきた。長大な尾根上という立地が災いしてか、一つ手前のピークの天女の舞とともに、登山ルートは山頂を巻いてしまっているから、この山を目的として訪れるのでなければ山頂を踏む登山者はけっして多くはないだろう。
登山口の天川村川合は、奈良県南部の登山起点の中では比較的近い方で、9時前にはスタートできたが、かつての起点の林道に出るまで約2時間、台風が九州に接近する中の湿気た空気が充満するなか、タップリ汗をかかされた。風の通らない植林帯を、ここで約600mの高度を稼がねばならない。今回の山行での一番のアルバイトは、ここの登りと、それに続く無残な姿をさらす林道歩き1.3㎞ほどだっただろう。これがなくても往復の行程としては充分過ぎる距離があった訣だが、夕立はもとよりずっと雨模様になることも覚悟していたので、カッパを着ての登山にならなかっただけでも幸いなことだった。さらに、稲村ヶ岳とバリゴヤの頭を望む展望に恵まれた地点があるのもうれしい。往路ははっきりしない天気で山頂にも雲がかかっていたが、復路は幸い雲も取れ、青空に山影が映えた。
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〔観音峰と稲村ヶ岳(往路第二鉄塔地点)〕

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〔奈良盆地を眺望する(林道途中から)〕

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長い林道歩きのあと稜線に戻り(林道に出た地点からほどなく、稜線を辿る道への踏み跡もあったが、今回はやや遠回りでも林道を行く)、ここからがいよいよ今回の山旅の核心ともいえる気持ちの良い道を行くようになる。程なく栃尾辻。ここで早めの昼食を取る。風の通り道に当たっているようで、汗びっしょりの身体が冷えて寒いくらいだった。
栃尾辻にて.jpg
〔栃尾辻にて〕
ここからの稜線は落ち着いた自然林の道となる。時折左手前方に天女の舞の丸い頭が見え隠れするが、写真に収められるようなスポットには恵まれない。まもなく、天女の舞を西側から巻くようになり、右側の谷筋に向けてスパッと切れ落ちている箇所があってやや緊張させられるが、草付きがあるせいか思ったよりも楽に通過する。
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〔天女の舞を巻き始める辺り〕
道はまもなく右に90度自然に曲がって弥山川の西に聳える尾根筋を行くようになる。耳を澄ませば双門滝のものと思しき瀬音も聞こえてくる。徐々に高度を上げ、天女の舞と同様頂仙岳のピークの西を巻く道から草付きを一気に登り詰めると、そこは天井がぱっと開けた感じの頂仙岳の1,717.4mの頂上だった。残念ながら展望には恵まれず、さして広くもないけれども、妙に明るい印象の山頂だ。天女の舞といい頂仙岳といい、長大な尾根上の比較的目立つピークでありながら、縦走路は山頂を踏むことなく巻いてしまっていて、弥山に向かう登山者が山頂を踏むことは少ないだろう。しかし、たとえ踏んだとしても、縦走の最中に形だけ立ち寄るのではあまりに勿体ない。その頂をめざして往復する人は恐らく稀だと思うが、そうしてこそこれらの頂の真のすばらしさは堪能できるのではないか。その意味で、今回の山行きはまことに得難い経験だった。弥山(須弥山)に向かう尾根に天女の舞(天女)と頂仙岳(仙人)という、なにやら曰くありげの命名にも引かれるものがある。
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〔頂仙岳の山頂〕

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帰路に青空に映える稲村ヶ岳とバリゴヤの頭を望めたからという訣でもないだろうか、長大な尾根の雰囲気は、法力峠から稲村ヶ岳に向かう道筋と何か似通ったものがある。いろんな方角から望めるというのもこの地域の山々の特徴だろう。観音峰から法力峠に至る尾根道で北から望んだ真冬の神々しいばかりの稲村ヶ岳が脳裏に焼き付いているけれど、それとは90度角度を変えた今回の真夏の展望にも得難いものを感じた。バリゴヤも同様で、鉄山への登山路で南から圧倒的な存在感で間近に眺めたのが忘れがたいが、こちらも90度角度を変えた今回の眺望はすばらしかった。その右に行者還が傾いだ姿を示していたのは、位置的にみて何も不思議はないのだが、意外だった。見ている方向は全然違うのに、どこから見ても傾いで見えるというのは不思議な山だ。
稲村ヶ岳・バリゴヤの頭・行者還岳(復路林道終点).jpg
〔稲村ヶ岳・バリゴヤの頭・行者還岳(復路林道終点)〕
現地で見ているときにはわからなかったが、バリゴヤの稜線にほんの一部だが、それとは異なる山影が被さっている箇所があることに、写真を見ていて気付いた。方角からみると、バリゴヤが完全に隠していると思っていた大普賢岳の一部かも知れない。ということは、ここよりはだいぶ標高がある稜線上からならば、もう少し顔を出していたのだろう。もしもう一度この尾根を訪れる機会があるならば、今度は是非もっと注意して歩きたいものだ。冬枯れの時期ならばまた随分違った展望が楽しめるのだろう。真冬は結構雪が深いだろうから、晩秋がねらいめだろうか。もっとも、つるべ落としの時期の日帰りとしては、天女の舞辺りまでの往復がせいぜいかも知れない。
ラベル:季節 奈良 天気
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2017年07月27日

マーラーの3番に出会った小説

マーラーの3番はぼくにとって特に思い入れのある曲だが、最近思いがけずこの曲が登場する小説に出会った。しかも、ここのところずっと読んできている大江健三郎さんの小説の中で。
クラシックの曲そのものを筋として取り入れた小説は稀である。ましてマーラーが登場する曲があるとは思ってもみなかった。しかも3番である。この曲に対する特別の思いが、けっしてぼくだけの偏愛ではなかったことがわかって安堵し、そしてなによりもうれしかった。大江さん自身が、作中の人物の言葉を借りて、気安く使うべきではないと言っていられるけれど、これを恩寵と言わずして何と言おう。出会いは、『燃え上がる緑の木』第二部、最終章の末尾に近い部分でのことである。
大江健三郎さんの本とのぼくの出会いは、以前少しだけ書いたけれど、M/Tと森のフシギの物語が最初だった。その世界をもっと知りたくて次の本を探そうとしたが、大江さんの作品はあまりに数が多くて、どれから読んだらよいか、呆然とせざるを得なかった。これはもう手当たり次第読むしかないと覚悟を決めたものの、なかなか全貌を見晴るかすことができない。ある程度冊数を稼いで、ようやく俯瞰できるようになったかなと思えるようになって来たのが、まだごく最近のことなのである。
何から読むかを決めるのに手掛かりになるのは、普通はまずタイトルだろう。ところが大江さんの本ではそれが一筋縄ではいかない。作品を読めばタイトルの意味は自ずと明らかで、もうそれ以外にはあり得ないのが納得できるのだが、読む前にタイトルだけで中味を想像するのが困難なのが、大江さんの小説の特徴といってもよい。
例えば、燃え上がる緑の木。そう言われても、主題を想像するのは無理だろう。懐かしい年への手紙、なんとなくロマンティックなものを感じるが、中味をイメージするのは難しい。でもこれならまだ読んでみようかという気にはなるが、洪水はわが魂に及び、といわれては、どうだろう。ウッとなってしまって、ぐうの音も出ないというのが正直なところだ。
そんな訣だから、どういう順序で読んだかはもう正確には覚えていないが、試行錯誤をしながら読み続けてきた。万延元年のフットボール、個人的な体験、新しい人よ眼ざめよ、静かな生活、二百年の子供、取り替え子、憂い顔の童子、ピンチランナー調書、といった具合。まだまだ買ったまま積んである方が多いかも知れないけれど、ここまで読んできて、大江さんの本の魅力に取り付かれてしまった感がある。

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大江健三郎さんの文章は、難しいというか、わかりにくいというか、けっして意味がストンと落ちてくるような文章ではない。一文が長く、論理も入り組んでいて、その独特の思考に付いていけるようになるまでに随分と時間がかかる。そうした中で、最初に読んだM/Tと森のフシギの物語は、むしろ例外的にわかりやすい書き方をしている。ただ、それでさえも、大江さんの四国の森の世界を知っている人には馴染み深いのだろうが、初めて大江さんの小説に触れる読者には、けっして一般的な題材ではないから、慣れるまで相当の辛抱が必要になる。それを通り越せば、最後に森のフシギの音楽が圧倒的な感動を運んできてはくれるのだが。
大江さんの文章のわかりにくさは、書くものごとに意識的に語り口を変えていることにも原因がある。実は、大江さんの小説の真髄は、この語りにこそ存するのである。小説の素材はけっして広くはない。同じ素材(大江さんの故郷である四国の森の伝承、障害をもって生まれた光さんとの共生、そして人間の性的なもの・暴力的なもの・魂の救いへの希求など)を繰り返し繰り返し用いて作品を練り上げる。徹底的にしつこく同じ素材にこだわり続けるのである。その上で、視点を変え、語り方を変えることで、そこには全く新しい命が吹き込まれる。作中に分身を登場させ、作中の人物に自身への批判をさせたり、さらにはそれへの反批判を行わせたりもする。時と場が何重にも重なった重層的な叙述が確信犯的になされるのである。
もう一つわかりにくさの要因を挙げれば、詩の引用があろう。原詩が引用される場合さえあって、ダンテ、ブレイク、イェイツらの詩人の作品への深い共感と理解が、物語の進行のキーポイントになっている場合が多い。しかし、ぼくはただでさえヨーロッパの文学に疎い上に、日本のものでさえ馴染みの薄いのが詩である。大江さんの文学のバックボーンとして当たり前のように存在する教養を共有できていないというのは、大江さんの文学を理解する上では致命的なことであろう。これらの詩人の作品を読んでみたいと思っても、大江さんの小説とは比べものにならないくらいに、さらに狭き門なのである。

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大江さんの作品には、大江さんの分身である私が話者となって一人称で語られるものが多い。それは大江さん自身の体験に基づく部分が確かに多いのだけれども、一旦大江さん個人を離れた客観化を終えた上で、私という話者の体験として語られているだけであって、けっして私小説ではない。しかし、一人称の語りは、どうしても大江さん個人の体験と結びつけてしまわれかねないものをもっている。
そこで、後期の作品では長江古義人という固有名詞をもつ人物を登場させて、それまでの私に代えて小説の進行を受け持たせている。取り換え子や憂い顔の童子がそうである。それはそれで成功してはいるのだが、古義人にはどうしても大江さん自身の面影が重なってしまい、大江さんの存在を抜け出しきれないものを感じてしまう。
その点、燃え上がる緑の木は、私という一人称で書かれてはいるけれども、大江さんの分身であるK伯父さんとは別に、サッチャンという人物を語り手として設定することで、不思議な味わいを醸し出している。K伯父さんに勧められてサッチャンがこの物語を書いたという仕掛けになっているのである。それは大江さんの分身のK伯父さんを物語の脇役に据えることを意味し、大江さん自身が逆に自由な立場で物語に関われるようになっているということでもある。
しかもこのサッチャンがまた魅力的な人物なのである。一応女性として登場するのだが、話が進むにつれて種明かしされるように、彼女は元男性だった。若者になるまでオトコとして生きてきたサッチャンは、自分がオンナであることに目覚める、オンナオトコからオトコオンナへの「転換」が起きるのである。そのきっかけは、K伯父さんを介して出会ったザッカリー・K・高安のてんかんの発作だった。「転換」は音の同じてんかんの含意があって、偶然にも直前に読んだピンチランナー調書における親子が入れ替わった「転換二人組」の「転換」に通じるものがある。
「転換」を受け入れたサッチャンは、四国の森でオーバーの庇護のもと、女性として暮らし始めたのであり、転換の顛末はサッチャン自身の口から物語の進行の過程で語られることになる。オーバーから(新しい)ギー兄さんを呼んでくるようにサッチャンが言われる場面から始まるこの物語を読み始めた時にはまだそんなことはわからないのだが、語り口がいつもと違うことはすぐわかるし、なんだか風景描写が多いなあという印象を受けたものだった。
燃え上がる緑の木は、話としては、懐かしい年への手紙におけるギー兄さんと僕という、いずれも大江さん自身の分身二人の交流に裏打ちされたギー兄さんの物語を受け継ぐものといってよい。舞台も同じである。しかし、サッチャンの語りで綴られる新しいギー兄さんの物語は、魂のことを考える救済の物語である。信仰をもたない者の信仰の物語といってもよい。文庫本三冊からなる大作であり、第一部はオーバーの死と、小児ガンにおかされた少年カジの死、第二部は新しいギー兄さんの父親でもある総領事の死を縦糸にして展開する。

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マーラーの3番は、第二部で総領事の葬儀に参加した黒人のアルト歌手が、帰国後にパリ郊外のサン・ドニ大聖堂で演奏された録音テープを送ってきてくれて、それを礼拝堂で鑑賞する形で小説に登場する。アルトが登場するのは第4楽章で、それに続く第5楽章には少年合唱が登場しアルトと掛け合いを行う。そしてそれがあの長大で感動的な器楽だけによる第6楽章を導き出すのである。
ところが、第6楽章が始まる前に、第5楽章の歌詞に訳を付けていたギー兄さんがペテロの悲痛な叫びを訳し終えると、やにわに耐えきれなくなって席を立ってしまうという事態が起きる。次にペテロの罪が許されることが歌われるのがわかっているのに……。マーラーの3番の展開が、物語の中で重要な役割を果たすのである。ぼくは、これまで迂闊にも第5楽章が何を歌っているかに注意を払うことなく、ただ音楽だけを聴いてきてしまっていたが、マーラーはここでいったい何を描こうとしていたのだろうか。
物語がこの先また大きな展開を遂げそうなところ─これまで「転換」の経緯以外は物語の語り手に徹してきたサッチャン自身の物語が始まる気配を感じさせる─で、第二部は終わっている。小説の中で初めて出会ったマーラーの3番の余韻にどっぷりと浸りながら、魂のことをめぐる大江さんの思索に、まだまだ表面的な理解に過ぎないことは承知の上ではあるけれど、深い感慨を覚えたのであった。
そしてふと思ったのは、マーラーの3番がここで登場した意味を突き詰めてゆくならば、この曲がこの小説の全体構造を暗示しているのか知れないということである。もしかすると、第三部で第5楽章と第6楽章の秘密が解き明かされることになるのではないか、そんな妄想に取り憑かれてしまうのである。
ラベル:音楽 読書
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2017年07月17日

奈良少年刑務所─美しい刑務所─を訪れる

奈良少年刑務所の公開に出かけてきた。奈良少年刑務所が優れた近代建築であることは、案内所などにも紹介されていたし、何よりも地元の施設であるので以前から知ってはいたが、現役の施設でもありなかなか見学の機会は与えられなかった。毎年矯正展が行われていてそうした機会に訪れることも不可能ではなかったが、縁がなく過ごしてきてしまった。
そうこうするうちに、最近俄に動きが慌ただしくなってきていた。今年の3月末で廃庁の発表があったのがちょうど去年の今頃のこと、リノベーションによる再生に向けた動きが始まっているが、今回の公開がそれに先立つ現状での最後の公開の機会と聞いた。
刑務所入口の前は何度も通ったことがある。美しい塔をもつ表門から、端正なと言ってもよい前庭越しに庁舎が望め、そこには刑務所からイメージされる暗さは全く感じられなかった。レンガ造りを基本とする建物は凜とした品格を滲ませていて、その建物が担うべき機能を果たすのに最善の施設を造ろうという建築家の意気込みが切々と伝わってくるのだった。
今回実際に施設内を見学させていただいて、外から見て抱いてきた思いが間違いでなかったこと、考えていた以上に素晴らしい建築であることを実感することができた。三ヶ月前までは刑務所として機能していたとはいえ、108年に及ぶその役割を負え、今はいわばもぬけの殻となっている訣だが、実際に機能していた折りの様子が、そこここに立ち上がってくるのである。
建物というのは、使っていて初めて生きる。保存したところで、側だけ残しただけでは、建物として死んだも同然だとぼくは思う。その点でいうと、今度見た刑務所は、受刑者を収容するという本来の用途は終えていたけれども、刑務所の建物として職員の方々が充分な手入れを行って今回の公開に備えられたということなのであろう。受刑者がいたときと恐らく寸分違わぬ状態で万全な管理をして守ってきていられるのだと思う。この気品は一朝一夕にして生まれるものではない。

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〔庁舎の建物(北東から)〕
東向きに開いた庁舎の正面から入りそのまま真っ直ぐ進むと、放射状に伸びる5棟ある舎房の結節点にある監視所に着く。ここから右(第一寮)、斜め45度右(第二寮)、正面(第三寮)、斜め45度左(第四寮)、左(第五寮)と5方向に2層の舎房が展開する。2階の廊下は真ん中が吹き抜けなっており、天井にも明かり取りの窓が開いているから、中は比較的明るい。日中はかなりの暑さだったが、舎房の中は案外気温は高くない。通路を挟んで両側に約30ずつ、それが1階と2階に展開しており、各寮に120ずつ程度の舎房があることになる。第四寮までは独房、第五寮のみが複数収容するようになっていた。定員は696名だが、多いときは800名ほどが収容されていたという。各室の扉板は分厚い元のままの木の板で、扉には監視用ののぞき窓と、食事の出し入れ用の小窓が設けられている。部屋は三畳程度の板敷きで、畳が敷かれていたという。洋式のお手洗いと洗面台が付く簡素な部屋だが、テレビなどを見られるようになっていたらしい。
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〔監視所2階舎監の結節点〕
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〔第一寮1階(北から)〕
刑務所という特別の用途をもつ建物ではあるけれど、極めて機能的に作られている。建物の美しさはその反映といってよいだろう。江戸の監獄から明治の刑務所への、日本の近代化の証として作られた5つの刑務所のうち、ほぼ完全な形を留める唯一の施設として、重要文化財にも指定された。今回、本来の機能は失うものの、形を替えて保存されることになった訣である。それはそれで喜ばしいことと思うけれど、建物本来の機能を完全に失わないうちに、今回見学できたのは幸いなことであった。
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〔第五寮の外観(西側)〕
庁舎正面から始まった見学ルートは、最終的に刑務所内のほとんど全ての施設を廻って表門に戻ってくるようにうまく組み立てられていて、たっぷり1時間半を要した。庁舎脇には地元の植村牧場の協力で、飲み物やソフトクリームの販売も行われていて、暑さと知的興奮とで消耗した身体をゆっくり癒やすことができた。普段見慣れない方向からの奈良の景色も鮮やかで、夏の日の充実した午後をさらに印象づけるものとなった。特に、ソフトクリームを食べながら見た、西日を浴びて輝きを増す表門と若草山の風景は、ここが刑務所の敷地であることを忘れさせるほど新鮮だった。
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〔奈良少年刑務所表門と若草山〕

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108年もの間現役として機能してきたこと自体が、機能性を重視した極めて優れた設計であったことの証といってよいだろう。ただ、建物のとしての美しさに賛嘆するだけで本当によいのかどうか、ここで交錯したさまざまな人生を思うと、極めて複雑な思いが飛来してくるのである。ここで行われた更正教育からは、寮美千子さんが編集した詩集のような、優れた成果も生まれてきていた。文化財として残すだけでなく、それがどのように機能していたか、そこで交錯した人間の営みを伝えていくのでなければ、ただ側だけ残したところで何ほどの意味もなくなってしまうだろう。建物を残す真の意味は、そこで繰り広げられた人間の営みを残すことにこそあるのではないかと思うのである。
建物内の一々については充分な知識もないので、ここで紹介できないのが残念だが、まだこの建物が本来の機能を有しているときに撮影された貴重な写真に基づく写真集が刊行されている(寮美千子編、上條道夫写真『写真集 美しい刑務所 明治の名煉瓦建築 奈良少年刑務所』西日本出版社、2016年11月刊)。この施設に関わったさまざまな立場の人々の文章も収める立体的な編集がなされた優れた本である。寮美千子さん編の受刑者の詩集『空が青いから白をえらんだのです─奈良少年刑務所詩集─』(新潮文庫)ともども、心が洗われる思いであり、この建物の素顔とそれが見つめてきた人間の営みを見つめるための貴重な証言として、かけがえのない書物だと思う。
ラベル:奈良 建築
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2017年07月16日

梅雨は明けたのだろうか?

もう梅雨は明けたのだろうか? この先の予報図にも前線は明瞭には描かれていない。今年は梅雨といえる季節があったのだろうかとさえ考えてしまう。集中豪雨は各地で頻発している。島根県南部で降り出したと思っていたら、少し間をおいて福岡・大分など起こった集中豪雨は想像を絶するものだった。あんな降り方をされたら、というような雨が実際に降るのである。しかし、雨雲の広がりが局所的で、降り方があまりに偏っている。
最近は雨雲の様子がリアルタイムで見られるようになった。どの地域でどのくらいの雨が降っているかが居ながらにしてわかるのである。南北幅はさほど広くないが東西に帯状に連なる幾筋かの積乱雲列が、僅かな南北の振幅を伴いながら、数時間同じようなところに居続ける。とはいっても雲は停滞しているのではない。雲列の中を雲の強い部分が波動となって西から東に動いていくのである。画面上でいえば、強雨を示す真っ赤な塊が次から次へと動いていくように見える。地上にいるなら、一つひとつはけっして大きくはない積乱雲の塊が、次から次へと通過していくという感じだろう。

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こんな雲列をどこかで見た記憶があると思ったら、ここまで強くはないけれど、冬の日本海側をびっしりと埋め尽くす、いわゆる筋状の雲だった。でも、雪雲の場合はもっと広範囲に広がるし、降らせ方はもっと穏やかだ。1時間に5㎝程度も降れば大雪だろう。5㎝と言えば降水量にすれば5㎜である。もしも集中豪雨のような1時間あたりの雨量が50㎜などというのが雪で降るならば(そんなことがあり得るのかどうかはわからないけれど)、とんでもないことになるだろう。
ただ、それにしても最近の集中豪雨は本当に集中的に降る。一昔前も似たような降り方をすることがあるにはあったが、今リアルタイムで観察できるような、狭い範囲だったのだろうか? イメージ的にはもう少し範囲が広いように思っていた。それとも単に雨雲レーダーで見られるようになったことによって実態がわかるようになっただけで、昔からこうだったのだろうか。

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リアルタイムで雲の様子がわかるようになったのはありがたいことだが、それを実際の防災に役立てることができなくては意味がないだろう。見てなるほどと納得しているだけではしかたがない。先週末ぼくの住んでいる辺りでも僅かの時間だが雷雨があって、雨雲が近づいてくるのは事前にキャッチできた。しかし、いよいよ降り出すとなった時、もう一度様子を見ようとしたら、電波の状態が悪くて、つながらなくなっていた。雷の影響なのか、集中的なアクセスのためかはわからないけれど、情報があってもアクセスできないのではいかんともしがたい。
それに、もしアクセスできたとしても、時間雨量100㎜などというのが降ってきたら、やれることは限られてしまうだろう。雨雲の帯から逃げられればよいが、それが難しいなら安全な建物に避難することくらいがせいぜいかも知れないが、実際にはなかなか難しかろう。それに大地は持って逃げるわけにはいかない。
集中豪雨が都会を襲わないという保証も全くない。幸い都市を集中豪雨が襲った例はあまり多くない。夏の大雷雨は東京などでもよく経験するところだが、梅雨末期の集中豪雨が都会を襲った例としては、長崎市街を襲った事例が今も記憶に新しい程度である。眼鏡橋が流されるなどの大きな被害が出たときのことである。都市を襲う水害で怖ろしいのは地下街だろう。地下街や地下鉄の排水が追いつかなくなることはあり得ないことではないだろう。

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数日前にもあちこちで集中的な雨が降った。犬山、米沢。随分広範囲だ。ただ、雨雲の様子は、福岡・大分の時とはかなり異なる。丸い雨雲が単発的に湧いている。これは前線による集中豪雨というよりは、時を選ばぬ点を除けばまさに夏の夕立だ。雨の強さは似ていても、遙かに短時間だ。やはり、前線に沿って降る雨とは区別しておくべきなのだろう。
もうこうなると、いよいよ梅雨明けの感が強まってくる。そういえば、もうセミも鳴き始めている。生き物はその点、梅雨明け宣言を信じている人間に比べると、正直というか、とても敏感だ。
梅雨のない北海道で猛暑日が続いているという。今年の夏はいったいどうなってしまうのだろうか?
ラベル:季節 日常 天気
posted by あきちゃん at 03:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2017年07月02日

初めて夏を感じた日と乗り物の夢─夢の記憶44─

昨日はまさに夏を感じさせる1日だった。湿気を含んではいるが風が結構吹いていて、洗濯物はよく乾く。北上した梅雨前線に向かって吹き上げる南風で、日本海側に集中豪雨を降らせる源である。列島上で南北への振幅を繰り返す前線が、もうあと2、3週間もして下りて来なくなれば、待望の梅雨明けとなるのが例年のパターン。7月初日の昨日は、真夏の日射しがのぞく青空に黒い雲が流れ、ようやくその前兆が垣間見られた1日だった。
今年も早くも折り返し点を過ぎてしまった。ぼくの場合、例年4月から6月までの第二四半期が何に付け一番じっくりと物事に取り組める時期なのだが、ここ数年急激にその余裕がなくなってきている。折り返してからの半年の速いこと速いこと! その加速は本当に怖ろしい。今年の後半は例年になくいろんな予定が詰まっているから、覚悟はして過ごしてきたつもりだったのに、どうにもならなかった……。

昨日したことといえば、先週刈り残した生垣の剪定の続きを片付けたことくらいか。今やらなければ、このまま夏を越してしまいそうで、そうなるととても見られた状態ではなくなるのが目に見えている。しかも表側である。意を決して午後の2時間ほどをこれに充てることにした。
交替で庭に出した犬たちも、刈り込み鋏を使うぼくの傍に寝そべって手伝っているつもりでいる。そのくせ裏の遊歩道を子どもやお散歩犬が通りかかると、一目散に駈けてゆく。そしてふと気が付くと、いつの間にか自分の位置に戻って何事もなかったかのようにぼくを見上げている。散歩には連れて行ってやれなかったけれど、結構楽しんでくれていたようだ。これで生垣は見られる状態にすることができたのだが、今年は芝生の養生をしてやる暇がない。雑草が目に見えて繁茂しかけている。なんとかしなければ……。

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昨晩は見事な半月が輝いていた。昨晩見た夢。
どこかわからないターミナル駅から電車に乗ろうとしている。ここから出る私鉄のようだ。何時にどこへと、行き先は決まっていたようだ。時間にまだ余裕があったらしく、駅ビルの5階にある本屋へ行って時間を潰そうと考えた。この本屋は以前は1階にあって、こういう時に重宝したのだったが、いつの間にか5階に移ってしまい不便極まりない。夢でなく実際にこういう経験をしているようにも思うけれど、それがどこなのか思い出せない。純粋に夢の中でのこととしても、以前にも同じような経験をした記憶もある。
通路の奥に、これから行こうとしている5階に上がるエレベーター方向への入口が見えていて、ぼくはそちらに向かって歩いている。すると、左手前方から電車がやって来て、ぼくの左側を通って行く。そこは線路敷きでも何でもなくて、今歩いている通路の続き。路面電車のような感じで、その電車はぼくと反対の方向に進んで行くのである。そして、ああ4両編成の短い電車だなと思ってやり過ごそうとしていると、電車は速度を落として止まってしまった。駅での電車のやりくりが錯綜しているのかも知れない。さっき路面電車のようだと書いたが、列車の来た方向を見ると─それはぼくが行こうとしていたエレベーター入口と同じ方向─、ずっと同じ平面なのではなく、途中までは塀で仕切られていて、塀のあるところまでは線路敷きが設けられている。要するに、塀が途切れたところからこちらが、路面電車になっている訣である(この景色、どこか現実の世界で見た記憶があるのだが……)。

電車が止まったのは、ちょうどその塀が途切れるところに最後尾が引っ掛かっている位置で、ぼくは今まさにそこの地点に差し掛かろうとしていた。電車と塀の間は50㎝程。何故かぼくはそこに入って行こうとした。通路を真っ直ぐにエレベータに向かうより、線路沿いに言った方が近いとでも考えたらしい。
すると、ちょうど最後尾の車両の数メートルが塀の端の部分に止まっている電車の車掌室のドアが突然開き─塀との間はドアが塀にあたりそうになるくらいしかない─、車掌さんが下りてくるではないか。どうもこちらに向かってくるようだ。それで、近道しようとしていたらしいぼくは、いろんな意味でややこしいことになりそうだと咄嗟に判断し、その狭い部分を通り抜けることを諦めざるを得なくなった。ぼくは舌打ちして電車から離れ、塀の反対側の広い通路をエレベータに向かうことにしたのである。

そうしてエレベーターまで辿り着くと(途中の経過は全く不明。場面転換といってもよいくらい)、そこには中学生くらいの制服の女の子が2人待っていた。よくわからないが取り込み中のようで、エレベーターを出たり入ったりしている。ぼくはエレベーターを左前に見る位置に立って、彼女たちの用事が済むのを待っている。
そのエレベーターというのが変なつくりで、石組みの低い囲いがあるだけだ。たとえは悪いけれども、ちょうど墓石が立っていないお墓のようだ。景色もまさにそれで、シースルーという訣でもあるまいが、エレベーターの向こうには草原や木々が広がっているのが見える。
女の子たちの用事が済んだようで、2人もエレベーターに乗ろうとし始めた。じゃあぼくもと思ったが、エレベーターの形状がおかしいからというよりは、むしろ女の子たち遠慮する気持ちから気後れしてしまい、乗らずにやり過ごしてしまった。
本屋へ行くのを諦めたのか、あるいは階段で上ったのか、その後のことは皆目わからない。エレベーターが上がっていったのかも正直言ってわからないが、記憶のある部分は妙にリアリティーのある夢だった。
ラベル:季節 記憶 日常
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