2017年06月12日

果てなき峰を訪れる(その1)

なぜ果無などという地名が生まれたのだろうか。行先がわからないくらい延々と続く山々、その先にある集落だからか、はたまたそうした山々の麓にあるからだろうか。麓の果無集落から登り切った鞍部が果無峠、そこから始まる尾根に入った最初のピークが果無山、これを皮切りに西に向けて連なる1000mから1200mの標高をもつ30㎞以上に及ぶ山々を果無山脈と呼んでいる。どれが一番元の地名なのだろうか。果無集落から果無峠までは、高野山と熊野本宮を結ぶ小辺路の一部でもあるから、それとの関係もあるかも知れない。
いずれにせよ見わたす限り山また山に囲まれたところであるには違いない。東には大峰、大台の高峰が連なるものの、それとて2000mに満たない。1000mクラスの似たような山々が延々と広がるという点では、紀伊山地はかなり特異な山塊なのかも知れない。果無山脈はその中でも核心部近くに位置し、しかも紀伊半島では珍しい東西方向に長距離続く山塊である。大台よりはむしろ海からは遠く、潮岬に突き出る紀伊半島最南端の付け根に位置するといってもよいかも知れない。奈良県の最南端、和歌山県境を東西に走るこの果無山脈を訪れた。
そんな立地であるから、果無山脈を縦走するのはなかなか困難である。距離的には健脚なら1日で充分縦走は可能なのだが、なにせ東西両端とも足の便が極端によくない。早朝に発って行ってもギリギリだろう。それも車の利用が前提だが、縦走後にどうやって車を回収するかという大問題に直面する。
となると、あとは前日というか、1日めは十津川温泉泊まりでゆっくり身体を癒やし、2日め早立ちして縦走して西端の龍神村丹生ノ川に泊まり、3日めに帰途に就くという、2泊3日がかりというのが最も現実的な選択肢であろう。とはいえ、起点の十津川温泉までが八木からバスで4時間なのはまだしもで、終点の丹生ノ川からの足はどうなのだろうか。

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前置き長くなったが、そんな僻遠の地にある山に、今回はバスで連れて行っていただく幸運に恵まれた。果無山脈には稜線からほど遠からぬ所に林道が通っていて、丹生ノ川と本宮を結んでいる。しかも最高峰冷水山(ひやみずやま)の直下から、冷水山に登る道が開かれている。今回はこれをフル活用して、1日めは西へ安堵山、和田の森を経て丹生ノ川へ、2日めは東へブナの森、石地力山を経て果無峠へ下って十津川へ、という分割コースで縦走を果たそうというものである。
往路は高野龍神スカイラインを利用して護摩壇山からの眺望を楽しむという贅沢なバスツアー付きで、冷水山下からの歩き出しは12時半。地図上ではわけなく見える冷水山への道は、のっけから急登でゆっくり登って30分、急にあたりが眩しく感じられるようになったと思ったら、そこは冷水山の好展望に恵まれた山頂だった。
低木と一部遮られる部分があるが、ほぼ360度と言ってよい南北両側の展望を堪能する。さっき立ち寄って来た護摩壇山のタワーが遥かな彼方に指差せる。ここで遅めの昼食を取ったら、西へ今日の縦走をスタート。心地よい木漏れ日に溢れた明るい自然林の幅の広い尾根道である。かわいらしいカサコソいうブナの葉が主体なのだろう。落葉もどこか大峰や大台とは雰囲気が違うような気がする。こういう道は何も考えずにただ歩けばよい。それだけで心の底まで洗われる思いがする。空気が乾燥しているのか、6月の梅雨前とは思えない爽やかさである。
冷水山の山頂.jpg
〔冷水山の山頂〕

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黒尾山を過ぎ、自然林の尾根道を充分堪能した頃、道は一旦先程登って来た林道に下りる。林道というにはもったいないほどの整備の行き届いた舗装道である。やや興醒めの感なきにしもあらずだが、まだ自然林の余韻が残っているせいか、さほど気にならずにいたが、どうもここで尾根道が途切れてしまっているのは北側から上がって来る別の林道があるからのようで、暫くはこれを歩かされることになる。
やがて道は林道から離れ、静かな尾根筋を行くことになり、まもなく樹林に覆われた安堵山に着く。あまり特徴はないが名前の通り、ホッとする小ピークである。このあと、尾根道は再び林道に出たり入ったりを繰り返しながら、林道と付かず離れずしながら辿るうち、尾根道に接した林道の北側が広く伐採された箇所に飛び出した。ひょいと林道に出て壮大な展望を満喫する。
右手奥には見慣れた釈迦ガ岳の鋭峰が鎮座し、左へ八経、弥山へと続く奥駈道がくっきりと望める。正面に大きいのは、牛廻山の山塊だろう。その向こうに展開するのは、伯母子峠、三浦峠を越えて高野山へと向かう小辺路の山並みということになろうか。左手奥には、この日周知となった護摩壇山のタワーが識別できる。稜線北側の大展望.jpg
〔稜線北側の大展望。一番奥が大峰の山塊〕
このあたりはこれまであまり馴染みのなかった山域だが、その広がりとマッシブな存在感にはただただ圧倒されるばかりで、いつまで見ていても見飽きるということがない。そしてそれを南でしっかりと受け止めているのが今立っているこの果無の山々なのである。よくぞまあここまでという思いを強くする。紀伊山地の南北の奥行きと東西の幅への認識を新たにする。

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ここからは軽快な尾根道歩きが続いたはずだが、あまり記憶が定かでない。好天と好展望に恵まれた山旅をもう充分満喫してしまったからか心は軽いのだが、足、ことに太腿のあたりが張って、ちょっと疲れを感じる。静寂な和田の森も1100mの標高があって、ここからの最後の下りは結構きつかった。明日の行程を思いやりながら、小森の集落を経て、ヤマセミの郷に着く。コテージ泊まりで、山行きの泊まりとしては贅沢の極みと言ってよい。ヤマセミ温泉で今日の汗を流し、冷えたビールで喉を潤しながら山の仲間の皆さんとつつく鍋は何者にも代え難き絶品であった。21時過ぎ就寝。(その2につづく)
和田の森.jpg
〔和田の森〕
芽生えたばかりのギンリョウソウ.jpg
〔稜線で見かけた芽生えたばかりのギンリョウソウ。ギンリョウソウはあちこちで見かけた。中でも、ほんとうにまだ土から顔を出したばかりのギンリョウソウは、まるで白い豆粒をばらまいたようで、一瞬何かわからなかった(写真を撮り損ねたのは残念)〕
ラベル:季節 奈良
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2017年05月30日

旅は道連れ、でない方がいい困ったひと

さて、次の急行はどっちホームに来るんだろうと、ちょうど特急券の販売窓口の上にある時刻表を見上げようとしていた。と、右腕に誰かが触れたような気がした。気にはなったが、見上げた動作を止めるわけにもゆかず、あ、4番線ね、と目的を果たしてから、いったいなんだろうと振り返ると、そこにはよく知ったTさんの顏があった。
久しぶりである。こんなところでまあ、とちょっと懐かしくなったが、一時にさまざまな思いが交錯する。積もる話をという思いが半分、ちょっと面倒だなという思いが半分、実際にはそう簡単には割り切れないいろんな気持ちごっちゃになって湧いて来る。
ただ、ぼく自身の常として、道行きはできることなら一人でいたいという気持ちが強い。旅は道連れとは正反対のものである。回りから隔絶されていたいという気持ちである。それは他人に囲まれておればこそのものといってもいいだろう。
そこに突然知った顔がヌッと現れたのである。きっと狼狽を隠せない顔をぼくはTさんに向けていたことだろう。いつも通勤に使っている駅でのことであるから、そこで一人の世界に入り込もうとしていた方が悪いといえば悪いのである。それに対して、そんなこと全く気にかけていないというようなTさんの大人の対応はありがたかった。

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しかし、である、ぼくのその後の行動はTさんにどう映っただろうか。ぼくがいたのが特急券発売窓口の前だったのがいけなかった。京都に通うTさんは特急券を買おうとしていたらしいのである。ぼくが、彼の後ろ側から失礼しようとすると、Tさんはどうぞと言って前に入るように言う。
Tさんはぼくが遠慮して彼の後ろに並び直そうとしたと思ったらしいのである。そこは特急券を買う列のようでもあったのだ。少しでも早く自分の世界に戻りたいと思っただけなのに、そのまま、じゃ、と言って言ってしまったぼくを、Tさんはどう思っただろう。
さらに悪い心配が駈けめぐり始める。もしもTさんが、ぼくが特急券を買おうとしていたと思い込んでいたのなら、急にぼくがそこから離れたのは、Tさんに出くわしたがために、特急に乗るのを止めたと感じていはしないか。それは誤解だ。
そんなことを心配するくらいなら、そんな行動を取らなければいいのに。まさにその通りなのだが、習い性なのである、こればかりはいかんともしがたい。

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ぼくは初めから特急に乗るつもりはなかった。2分後から出る急行で行くつもりで、ホームを確認しようしていただけだった。Tさんに会っても会わなくても、行動は同じだったはずである。
しかし、ぼくはTさんと別れ際に自分が発した言葉を思い出して唖然とした。お出かけ? と尋ねられて思わず発したぼくの言葉、これから東京です!
それは正直な発言である。嘘をついてなんになろうし、ぼくはそんなところで咄嗟に間に合わせの嘘がつけるような人間ではない。しかしそれが問題なのである。
Tさんはどう思うだろう。東京へ行く人間が、わざわざ混んだ急行になど乗るだろうか。ぼくの言葉は、ぼくが特急に乗ろうとしていたと、Tさんにそう信じ込ませるに十二分な働きをしたに違いないのだ。
さてそうであるならば、なぜぼくは特急券の窓口の列から離れたか。そう、まさにTさんと特急に乗り合わせるのを避けるために違いないのである。それはぼく自身の行動として充分あり得ることだからなおよくないのだが、今回は事実に反している。ぼくはそれをTさんに弁解する機会を永久に失ってしまった、そんな自己満足の裏返しに過ぎない考えに苛まれながら、混雑した急行の吊革に掴まりながら、京都に向かったのである。

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今回の場合、悩んだ挙句ではあったが、急行にしようという比較的硬い決意ががあったから、こんな強いことが書けたのだが、もしも特急て行くつもりで列に並んでいたとしたらとか、まだ悩んでいる最中だったとしたらとか、そんな場面だったらどうだっただろうか。Tさんには申し訳ないけれども、急行で行く決断を押す結果になったに違いない。それはもうぼくという一個人の個性の問題に過ぎないのである。そんな自分がほとほと情けなくなるが、それをよしとしている自分もまたどこかに見え隠れしているから、まことに厄介な話ではあるのだ。
ラベル:日常
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2017年05月20日

局ヶ岳に登る

待望の局ヶ岳を訪れた。以前、飯高の道の駅からその秀麗な姿を望み、いつかその山頂を極めたいと思っていた。昨年、栗ノ木岳に登り、稜線の彼方に鎮座する姿を遠望して、その思いはさらに強まった。
車は荒滝不動の少し奥まで入る。昨年、栗ノ木岳からの帰路、北に下った庄司峠を、今度は南からめざす。最初は別方向から上がってきている林道を横切るなど、なんとなく定まらない感じの道だったが、あとは暗い谷筋を登り詰め、高度差約350mをひたすら登ること約1時間、急に周囲が優しく明るい緑色に輝き始めると、じきに小さな祠のある庄司峠に飛び出した。
小休止のあと、稜線伝いに局ヶ岳をめざす。ここから局ヶ岳までの標高差は300mだけれど、道自体はしっかりしているものの、細かなアップダウンが多い上に、ことに登りには石をまじえた急傾斜の箇所が多く、結構神経を使う。数字以上の登りをこなさなければならない。

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40分余りで821m峰。ここで昼食。展望はないが、落ち着いた稜線で、少し手前の北側に山並みが望めるところに腰を下ろす。それまで少し汗ばむくらいだったが、気温は高くなく、休んでいる間に少しヒンヤリとしてきた。ほぼ全天が髙曇りとなってきているのも影響しているようだ。
ここから幾分北に向きを変え、さらに北へ回り込む形で942m峰をめざす。時折ミツバツツジやシロヤシオなどの花々が出迎えてくれるようになる。花はあまり期待していなかっただけに、この応接はうれしい。また、942m峰が近づくにつれ、右手(南側)の視界が開け、これから辿る稜線の先の局ヶ岳の姿を望める場所も増えてくる。尖峰の手前にいくつか段々があって、あれを一つずつ上がっていくのか、大変そうだなあと思う反面、益々登頂への期待も高まっていく。局ヶ岳を望む(842峰から少し降ったあたりから).jpg
〔局ヶ岳を望む(842峰から少し降ったあたりから)〕

局ヶ岳を望む(942m峰の手前920m付近から).jpg
〔局ヶ岳を望む(942m峰の手前920m付近から〕
局ヶ岳を望む(942m峰付近から).jpg
〔局ヶ岳を望む(942m峰付近から)〕

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約1時間で942m峰。いよいよ次は局ヶ岳本峰である。しかし、ここから一旦鞍部まで結構な降りとなる。最低鞍部の標高は840mあまりだから、100mも下ることになる。これに約40分。そして都合190mほどの登り返しが待っていることになる。途中シャクナゲが群生しているところを過ぎる。薄いピンクの花が美しい。もうピークは過ぎているようだったが、これまたうれしい誤算。
最低鞍部からは少なくとも2箇所のテラスはあるはずと覚悟していたが、いよいよ最後の登りかと思った登りが、実はそうではないというのを2度経験してしまった。結局45分程度かけてじっくりと登りきり、低い鳥居をくぐって局ヶ岳山頂に立つ。局ヶ岳山頂.jpg
〔局ヶ岳山頂〕
基本的に妨げる物のない360度の展望だが、手前に低木の枝や草などの障害物は結構あり、残念ながら障害物なしでの360度の展望を記録することはできない。前回登った栗ノ木岳の三角峰が、ちょうど稜線にかぶさる形でその特徴的な山容を見せてくれている。
三峰山から続く稜線を望む(局ヶ岳山頂から).jpg
〔三峰山から続く稜線を望む(局ヶ岳山頂から)〕大洞山(左)と尼ヶ岳(右)(局ヶ岳から).jpg
〔大洞山(左)と尼ヶ岳(右)(局ヶ岳山頂から)〕
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〔伊勢方面を望む(局ヶ岳山頂から)〕
それにしても山頂東側の反射板は無粋だ。こんなものを作らなければならないのなら、いっそ稲村ヶ岳のような展望台を兼ねたものにしてくれたらどんなによかったことか。せっかくの360度の大展望が台無しだ。

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帰路は局ヶ岳神社へと向けてひたすら下る。70分ほどの単調な下りが続く。最初のうちこそ岩をまじえた下りがいのある部分があるものの、あとは迷うこともなく時にジクザグを繰り返しつつ高度を下げてゆく。思わずこれを登るのは辛いだろうなあと余計な心配も過ぎる。
途中マムシグサの奇怪な花が目に付く。丈の高いものばかりでなく、ほんの小さな株にも花が付いている。ただ、残念ながら一気に下る行程だったこともあって、写真を撮る機会を逸してしまった。
迎えのバスが結構な標高の所まで来てくれていて、そこからの展望もまたなかなかだった。道の駅に併設された飯高の湯まではバスだと僅かの時間。意外に凝ったさまざまな風呂が楽しく、時間の経つのも忘れて湯に浸かることを楽しんでしまう。

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こうしてすっかり気持ちよくなって車中の人となって船を漕いでいた訣だが、帰途、談山神社の脇を超えて盆地に下るところで見た、一瞬の信じられないような自然の光景がくっきりと心に刻みつけられている。
高曇りの空と西の地平線との間に、ほんの少しだけ雲のない隙間が空いていた。その隙間をオレンジ色に染めて今まさに二上山の双耳峰に沈もうとしている夕陽があった。隙間の幅は夕陽の直径より少し大きい程度だから、その隙間は葛城山にぶつかって消え、その輪郭のほとんどは雲に彩られていたのではないだろうか。
これを見ることができたのは、「二上山に!」 という同行の方のお一人の声に、夢の世界から現実の世界に引き戻されたお蔭である。もう一度よく見ようとしたが、次に同じ方角が視界に入ってくる場所に到達したときには、夕陽はもう粗方沈んでしまっていた。それを見ながらも、さっき見た景色は夢だったのだろうか、と思わないではいられないほどそれは一瞬の儚い景色だったが、でも確実に心に刻まれた自然の造形だった。今見え残っている夕焼けが鮮やかなのは、そうした心象を反映しているからだったのだろうか。
見ようと思って見られる光景ではないだろう。歯車がほんの少し狂っただけでも見られなかった景色に違いない。古代びとがさまざまな思いをあの山に託した気持ちが、ほんの少しだけ理解できたような気がした。
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〔局ヶ岳山頂直下で見たイワカガミ〕
ラベル:季節
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2017年05月17日

祖母の淹れたお茶の夢ー夢の記憶42ー

今はもうなくなった、生まれ育った実家の庭に面した縁側に佇んでいる。縁側は南に面してはいるものの、南側に高い崖があって、そこに向かって築山が築かれている。山の下には瓢簞型の池があり、池の西側の藤棚の下を潜り、築山に登る石段が設けられている。元は、江戸の旗本屋敷だったところだから、それなりの由緒があった庭かも知れないが、もう見る影もない。
池の北側東寄りには全く実のならない桃の木が、東寄りの石垣の途中には柿の木が、築山の上の東端には枇杷の木が生えていた。戦時中の名残であろうか。あるいは、聞いてみたことはなかったが、戦後ここに越してきた祖父母、ことに吝嗇の祖母のなせる技だったのかも知れない。

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ぼくの脇でさっきからこの庭に見入っていた外国人の女性が、ポツリと、日本の庭ですね、と言った。荒れた見る影もない庭のどこに日本らしさを見出したのか、訝しがったけれど、祖父母が建てた今ぼくらが佇む縁側のある家とともに、ある意味典型的な昭和の日本の風景だったようにも思う。それを理解してくれた女性の言葉が身にしみてうれしかった。ぼくの過ごしたこの家での時間への共感でもあったと思えたのである。
お茶でもいかがですか? ぼくは女性を居間に招じ入れた。我が家の食事部屋でもあった、家の西北の隅にあった四畳半の飾らない和室である。ここは、祖父母の寝室も兼ねていて、昼間は祖母の居間にもなっていた。
祖母が四角いお菓子を用意してくれた。香り高いほうじ茶も淹れてくれた。祖母にお茶をいただくなんてかつてなかったことだ。しみじみとありがとうを言った。何がどうということはないのだけれど、ひたすらなつかしかった。

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ちょっと出かけて来るからね、と言って祖母が出て行った。相変わらず忙しそうだなぁ、と思った。ひたすら静かだ。なんて贅沢な時間なのだろう、そう思っていてハッとした。祖母はとっくに亡くなっていたはずではないか! 何故そんなことに気付かなかったのか。本当に取り返しのつかないことをしてしまった、もう会えないのに、どうして引き止めなかったのか。強迫観念にぼくは次第に苛まれていったのだった。
気付くと、四畳半にいるのはぼくただ一人。さっきいただいた四角いお菓子が半分、まだ紙に包まれてお膳の上にあった。柱時計が振り子の音だけを響かせていた。
ラベル:日常 記憶
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2017年05月14日

バーンスタイン=ニューヨークのマーラーの3番のこと

少し前に、マーラーの3番の最終楽章について、若い頃はバーンスタインの粘っこい表現が好きだったが最近は、という趣旨のことを書いた。しかし、あとになってよく考えてみると、本当にそうなのだろうかという疑問が浮かんできた。それというのも、バーンスタインでマーラーの3番を聴いたのはLP時代のことで、CDを持っているわけではなかったから。今聴いたらどう聞こえるだろうか、同じ印象をもつのだろうか。
あの頃新譜のLPは2,800円というのが普通になっていた。廉価版でも1.200円とか1,500円とかで、レギュラー版は2,200円、2,300円というのが相場だった。マーラーの3番は当然2枚組であるから、4,000円を切るようなレコードはなかったのではあるまいか。バーンスタイン以外では、クーベリック、ショルティ、レークナー、ノイマンといったところで、演奏の種類も多くはなかった。
ところが、CD時代に入って輸入盤が手軽に入手できるようになって久しく、ことにボックス物の隆盛が著しく、かつての名盤が、LP時代では考えられなかったような値段で手に入るようになった。かのバーンスタイン=ニューヨーク・フィルハーモニックのマーラーの全集が3,000円を切る値段で買えるのである。まことに隔世の感がある。

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そんなわけで、久しく耳にしなかったバーンスタイン=ニューヨークのマーラーの全集の入手を思い立った。届いた箱を開けてみると、それぞれオリジナルのジャケットを用いた紙ケースに収められた12枚組のセットである。1番や4番、それに10番は、バラでLPを持っていたから、なつかしいジャケットにめぐり会えて感慨もひとしおだった。3番はこのジャケットには見覚えはなく、ぼくの買ったのは緑色のジャケットだった記憶があり、再版されたものだったのだろう。
3番は、入手したCDでも2枚に分かれていて、1枚めが1楽章、2枚めが2楽章から6楽章という割り振りになっている。LPでは1楽章が片面に収まりきらず、楽章の途中で裏返したような気がする。1枚目のB面に1楽章の続きと2楽章、2枚目のA面に3・4楽章、B面に5・6楽章という割り付けだっただろうか。
CDが届くや最初に聴いたのは、邪道は承知で2枚目のそれも第5楽章からだった。LP時代の割り付けに影響されているといえばいえるだろうが、第6楽章には、第5楽章の少年合唱と鐘の明るい響きの余韻がどうしても必要なのである。
第5楽章が終わり、間を置いて弦楽合奏が静かにメロディーを奏で始める。ああこの静寂ななつかしさに溢れる響き、これでこそマーラーの3番の最終楽章だ! ゆったりと奏でられる音楽は、遅いけれどもけっして粘らず押しつけがましさがない。しっとりと輝くひとなつこい響き。まるで真綿のように優しく包み込んでくれる子守歌のようだ。
バーンスタイン=ニューヨークフィルハーモニックのマーラー第3のジャケット.JPG
〔バーンスタイン=ニューヨークフィルハーモニックのマーラー第3のジャケット〕


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遅ければいいというものではないのだ。例えば、バルビローリの演奏がある。タップリと歌わせるが、バーンスタインのような子守歌とはほど遠い。よしあしではなく、バルビローリ節満開のこぶしを利かせた粘りに粘った演奏だ。音楽に浸るには最良かも知れないが、これはバルビローリの音楽であって、マーラーではないと感じてしまう。しかもこの演奏の場合、ある地点から急にテンポが上がるのである。これがために、それまでの部分をためにためていたという感じなのである。
もう一つ、ケーゲルの演奏がある。これはタイムからいうと、バーンスタインよりもなお遅い(バーンスタイン25:09に対し、ケーゲルは27:24。ちなみにシューリヒトは20:56)。しかもその遅さが感覚的に際立つのである。バーンスタインは遅い中にも余裕があって、どっぷりと浸っていられるけれど、ケーゲルはピンと張りつめたものがあって、聴いていて消耗する部分が大きいのだ。ただ、ケーゲルは何故か一箇所だけ、一瞬の爆発という感じで、短調の部分で走ってしまうところがある。ライヴならではというよりは、これも計算し尽くされたものなのだろうか。ケーゲルの演奏も素晴らしいのだけれど、正直言って疲れる。
バーンスタインは最後までゆったりとしたテンポで押し通す。そこに一つも押しつけがましさが感じられないのはいったいどうしてなのだろう。あくまで爽やかで清潔で暖かく、憧れに満ちた音楽なのである。この演奏を知ってしまうと、もう他は受け付けなくなってしまうのである。

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バッハのカンタータを聴き比べて、全く別の曲に聞こえるような演奏でも、それぞれの持ち味として認めることができる。年を重ねたことで、固定観念から解放された聴き方ができるようになったのかも知れないと思ったものだ。しかし、バーンスタインのマーラー、この3番の最終楽章に関する限り、それは全くの錯覚であった。この演奏を聴いていると、他の演奏はもうないに等しいと思えてしまうことを改めて知ったのであった。本当に魔法をかけられたような演奏だ。もちろん、シューリヒトの淡々としていながら滋味溢れる演奏は大好きである。ケーゲルの遅さを実感する演奏にも尽きない魅力がある。先に書いたバルビーローリの癖のあるちょっとわざとらしい演奏もいいと思う。しかし、バーンスタインの演奏のもつ、何と言えばよいか、強いて言うなら磁力のようなものには抗しがたいのである。これを聴いている限り、他の演奏が入り込む余地は残っていない。それは本当に文字通り魔法というしかない。
それは終結部に入って、弦のさざ波に乗ってトランペットが主題を奏で始める部分(バーンスタインの18:30付近から)に特に顕著に表れていると思う。ここはLP時代にも心を揺さぶられた部分だったけれど、30年を経てCDで聴いてもなお、大袈裟ではなく涙なしには聴けなかったのだった。
ラベル:CD 音楽
posted by あきちゃん at 00:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする