2017年04月06日

待ちに待ったサクラと春のカンタータBWV1

ようやくサクラがほころび始めた。昨日の朝、奈良阪のバス停のサクラはまだつぼみのままだったが、帰りに秋篠川添いのまだ若いサクラを見たら五分咲きといったところで、ようやく春が訪れたことを実感することができた。2月以降暖かくなりそうなそぶりを見せながらなかなか本格的な暖かさはお預けの状態が続き、サクラは例年に比べると一週間以上は遅いだろう。例年だと、移ろう季節にちょっと待ってよ、と声を掛けたくなるのものだが、こうも勿体ぶった春の到来のしかただと、逆に今度は少しすねてみたくもなるから、身勝手なものだ。もっとも、お水取りが終わってもなお果てることのない寒い毎日が続いたのだから、それもまあ仕方のないことだろう。
3月の末でも、上越の多いスキー場だと5mの雪を観測していた。1月の末というのならまだわかるけれど、サクラの季節の直前でこうなのはぼく自身ほとんど記憶がない。先週あたりでもなおザラメにならずパウダースノーで滑れたというのだからすごい。1月半ばまでは雪不足でやきもきしていたスキー場も多かったはずだが、3月末でこうだと逆に雪も迷惑の部類になるだろう。もう、いらない、となるに違いない。この季節になって接岸した流氷がなかなか離岸せず、漁に出られなくて困っているというニュースも見た。

          §           §           §

折角サクラが咲き始めたというのに、明日から暫く天気はぐずつくらしい。この先一週間晴れマークがない。しかも気温は高くなるというからサクラには最悪だ。週末にはお花見をと思っているのに、何とかならないものか。冬が長かっただけに、それに耐えて一週間遅れで今まさに咲こうとしているサクラを何とかしてやりたい、という思いが強いのである。
いつもの年ならもっとのんびりと構えている春の恒例行事、イヌたちの年に一度の大仕事を、今年は4月早々に済ませてきた。土曜日にAGを車で連れて行き、日曜日にはPPとACを散歩がてら動物病院まで歩いて行き、狂犬病の注射とフィラリアのチェックの採血をしてもらい、半年分の薬をいただいてきた。帰りは鴻池回りで帰宅し、あと少しでほころび始めるサクラのつぼみを確かめながら、今週末の再訪を期したところだったのだ。
偏西風の蛇行が多いせいなのかどうか、ごく普通の穏やかな周期変化というのがなかなか現れにくくなってきているような気がする。何度か書いたことだが、冬から夏へ、夏から冬への変化が激烈で、春と秋が短くなってきている印象も強い。温暖化の影響かどうかは別として、極端な気候が出現しやすくなってきているのは確かだろう。変動はあって不思議はないのだが、その振れ幅がこれまでの常識では測れなくなっているのである。

          §           §           §

春がそれだけ待ち遠しかっただろうか、今年はBWV1のカンタータがとりわけ心に滲み入る。受胎告知の祝日(マリアのお告げの祝日)のための、BWV番号のトップを飾る、そして第2年巻コラール・カンタータの最終曲、最高峰という、記念すべきカンタータである。
名曲だからということで、これまで何度も聴いてきた曲なのに、なぜかあまりピンとこないできてしまった。明るくて優しくて、それこそ踊り出したくなるような楽しく美しい曲である。しかし、カンタータというイメージから、いやバッハの音楽について昔から抱いていた漠然としたイメージからはおよそかけ離れた曲である。これが本当にあのバッハの音楽の最高峰なのだろうかと、特別の感動を覚えない自分の感性に疑いをさえ感じてしまっていたのである。
ところが今年は違った。何故か知らないが、手許にあるいろんな演奏のCDで聴いてみているが、どの演奏もみな心に滲みわたってくる。第1曲についていうなら、ロッチュの颯爽とした心の浮き立つような演奏から、同じトマス・カントルの演奏でありながら、これとは正反対のしっとりとした遅めのテンポで歌い上げるビラーの演奏、そしてさらにゆったりと暖かく慈しむようなヴェルナーの演奏、みなよい。ロッチュとヴェルナーではテンポが1.5倍も違うのであるが、どちらも素直に美しいと思う。テンポの違いが全然気にならないというのは、やはり曲そのものが素晴らしいからなのだろう。
6曲からなるコンパクトなカンタータなので、もっともっと浸っていたいという思いを残したまま、それでいて言葉では言い得ぬ充足感を残して去って行く、そういう曲である。まさに春に相応しい曲であることを、遅まきながら、今年初めて感じている。これも遅い春の到来のたまものであるのかも知れない。

【2017/4/6追記】
posted by あきちゃん at 00:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2017年03月30日

ヒバンダーラ再訪

同じ山頂を二度極めた経験は実はそれほど多くない。東京の山でも、遠足で通った高尾山とか、御岳山、大岳山、高水三山などポピュラーな山を除けば、御前山も三頭山も川苔山も鷹ノ巣山も六ツ石山も七ツ石山も実は一度しか登ったことがないし、あとほかに、二度登ったところといえば、八ヶ岳の赤岳、横岳、硫黄岳、天狗岳があるくらい。奈良の山では大台ヶ原の日出ヶ岳、大峰山系では稲村ヶ岳と和佐又山、それに少し地味なところで天和山くらいなものであろうか。
今回訪れたヒバンダーラも普通はなかなか一人では2回は登らない山だと思う。連れて行っていただけばこその再訪ではあったが、一も二もなく参加したのはやはり一度めの印象が強かったからである。機会があれば是非もう一度という思いが強かったのである。
釈迦ヶ岳を源流とする旭川が西に流れて十津川に合流する地点の南北に、向かい合うように聳える二つの山。北側がホウソ砂(北)、そして南側が今回再訪したヒバンダーラ(南)、別名、栂野山である。

          §           §           §

前回の記録では、「ヒバンダーラ」と表記したが、山頂の山名板には、「ビバンダーラ」と「ビバンラーダ」が共存している。アイヌ語に由来するともいうその名の由来はよくわからない。ヒとビ、どちらが本来なのかもはっきりしないが、ピとビ、つまりPの音とBの音ならば、日本語では明確に区別するが、他の言語では明瞭な区別がない場合があり、例えば韓国の釜山は、日本ではプサンと呼ぶのが通例だが、韓国ではBUSANとBで表記する。ペキンも中国ではBEIJINである。BとPの区別はどうでもよかった訣だ。ヒバンダーラとビバンダーラはHとBなので、これとは無関係かも知れないが、ピパンダーラとビバンダーラならもしかしたら混同が起き得るかも知れない、などと考えてしまう(似たような関係に、GとKがある。韓国の金浦空港は、日本ではKIMPOだが、韓国GIMPOである)。まあ、言語学の知識に乏しいので、もうこれ以上はいかんともしがたく、「ラーダ」は「ダーラ」の誤記だと思うが、「ヒ」と「ビ」は取り敢えず謎のままとしておくしかない。
ビバンダーラ山頂.jpg
〔ヒバンダーラ山頂の山名板〕

          §           §           §

さて、前置きが長くなったが、ヒバンダーラは里山というには高く険しく、深山というには人懐こく、十津川の渓谷から一気に立ち上がる。食事や休憩を含めても5時間ほどの往復の行程だが、再訪してみて改めてその深い味わいに魅せられた。前回が2月半ば、今回は3月下旬ということで少し時期がずれるが、いずれも冬枯れの季節で、そうであればこそという面もあろう。
というのもこの山の魅力の一つが、大峰奥駈道、なかんずく釈迦ヶ岳の展望にあるからである。もう一つの魅力である優しい自然林が活気を呈している季節には、それ自体が釈迦ヶ岳の展望を妨げてしまうであろうことは想像に難くない。落葉の季節ならばこその展望なのである。前回、帰路に遠望して魅せられた釈迦ヶ岳に、ちょうど半年後の昨年8月に登る機会を与えられ、そのちょうどまた半年後の今回、再びその眺望の地を訪れたというのは、偶然とは思えないものを感じてしまう。

          §           §           §

昨年よりは春に近いというのに、昨年にも増して白く輝く釈迦ヶ岳の神々しい姿を遠望した写真を昨年撮った写真と比べてみて驚いた。明らかに同じ木が写っているではないか! 全く同じ場所での撮影だったのである。偶然にしては余りにでき過ぎている。
木の間に釈迦ヶ岳を望む.JPG
〔木の間に釈迦ヶ岳を望む〕(ちなみに、去年の写真は、こちら。記事は、こちら
弥山・八経方面を望む.JPG
〔弥山・八経方面を望む〕
稜線に出てから西へ辿る優しい自然林も健在だった。山頂こそ展望には恵まれないが、この僅かではあるが、導標はおろかテープもない自然林の稜線歩きの愉しさは、何物にも代え難い。往きは振り返り振り返りしながら次第に北の方から順に顔を出してくる奥駈道を確認しながら、また帰りは正面の木の間に白い稜線が見え隠れするのを仰ぎながら歩く。眺望の利く場所は限られているけれど、白く輝く尾根道を少しでも眼で辿れる場所を見つけた時は、みんなでそれこそ飛び上がらんばかりに喜び合いながら、順番にシャッターを切る。ずっと景色に恵まれた稜線を歩くのがすばらしいのは勿論だけれども、こうして木の間越しの眺望を探しながら歩くのもまた楽しく、展望に優れた場所を見つけた時の驚きと喜びはまたひとしおのものがある。ビバンダーラから戻る稜線の自然林.JPG
〔ヒバンダーラから戻る稜線の自然林〕


          §           §           §

ヒバンダーラへの中谷集落からの道のさらにもう一つの魅力は、稜線に出る直前の直登にある。巻道もあるのだけれど、適当に切り残された切り株につかまりながら、ほとんど四つん這いになって登っていく感じの急傾斜の直登はなかなか他の山では味わえないものである。幸いそれほど高度感は出ないし、ほとんどが土なので落石を心配をすることもなく、ひたすら高度を稼いでゆける。その箇所に至るまでの道も、基本は急な登りだが、適度にインターバルがあって、右手に時折ヒバンダーラの丸い頂を望みながら高度を稼いでゆくのがたいへん心地よい。
今回は春がもうすぐそこまで、という季節だったので、さらにうれしいおまけが付いた。麓の中谷集落は、既に盛期は過ぎたとはいえ白梅、紅梅の花盛りだったのに加え、春ならではの贈り物がそこここに芽を出していて、一瞬目を疑った。少しだけいただいて帰り、当日の晩の味噌汁に、ふきのとうのほろ苦い初春の香りを添えたのだった。
ビバンダーラを振り返る.jpg
〔ヒバンダーラを振り返る〕
タグ: 奈良
posted by あきちゃん at 01:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2017年03月26日

春の足音を聴く

昼過ぎに犬たちと交替で散歩に行った頃は、雨を呼ぶ風が結構吹いてはいたけれど、まだ薄日も射していた。しかし、3周目に入る頃には近づいてくる雨雲に急かされる感じの行程となり、今はもう弱い雨が降ったり止んだりしている。多分降り始めるだろうなと思い、夕方などといわず早々に出かけて来て正解だった。犬たちも満足して今は気持ちよさそうに疲れを癒やしている。
来週末にはもう4月を迎えるというのに、今年はお水取りが終わってからもいつまでもどこかしらいじいじとした寒さが続いている。朝晩は相変わらず冷えこみが厳しく、吹く風も冷たい。しかし、犬たちと散歩をしていて、スリットガラス越しのような太陽が望めている間は、ダウンを羽織っていると少し暑さを感じるくらいで、日射しは明らかにもう本格的な春の到来が間近であることを告げていた。

          §           §           §

ほころび始めたユキヤナギ.JPG
〔ほころび始めたユキヤナギ〕
道端は、他にも春を実感させるものに溢れていた。先週末にも見ていたことだが、ユキヤナギがもう本格的な開花寸前といった趣である。二週間ほど前に、あの細い棒のような枝に、綿か何かのようなものが付着しているなと思ったら、それは一部開き始めた花だった。場所は異なるけれど、当時住んでいた町のユキヤナギが満開の坂道の様子を、学校に入ったばかりの長女が連絡帳に描いていた頃がなつかしく思い出される。花を付けた枝を道を塞ぐように伸ばすユキヤナギの間を、自転車に乗った長女がよたよたと駈け降りて来る……。先週はまだ、ほとんど変化がなかったのに、さっき見ると、綿が付着したような段階から遙かに開花が進み、枝が花で重く垂れ下がるようになるのも間近のようだった。
満開の沈丁花.JPG
〔満開の沈丁花〕
満開の沈丁花にも出会った。ぼくの育った家の玄関先には、通路の両側に沈丁花の株があって、毎年初春の玄関先を彩ってくれていた。そう、彩るというのは不正確かも知れない。濃いピンクのつぼみから、白い清楚な花を固まって咲かせる沈丁花の花は、花そのものよりも、その優しい香りで玄関先を包み込んでいるのだった。春を告げる沈丁花の花に、東京の春先の雪がかぶさる情景も何度か見たように思う。ぼくにとってはごくありふれたこの初春の花である沈丁花、最近はほとんどお目にかかることがなかった。それがたまたま散歩道の脇の公園に、たったひと株だけ花を付けているのに、においに導かれて出会ったのである。旧知の花に再会したような喜びで、東京で過ごした頃を思い出してしまった。
ふくらみ始めたサクラつぼみ.JPG
〔ふくらみ始めたサクラのつぼみ〕
サクラのつぼみも、先週までの堅い木の色から、薄いピンク色を滲ませ始めていた。あと少しの日射と春の陽気に恵まれれば、ほころび始めるまでもうあと少しの辛抱といったところだろう。年々開花が早くなってきているので、今年は例年に比べると少し遅いくらいだけれど、文字通り入学式を祝う花が見られるかも知れない。

          §           §           §

今年も花を付けた水仙.JPG
〔今年も花を付けた水仙〕
家の庭にも確実に春が訪れていた。鉢植えの水仙である。今年で何年目になるだろうか。特に世話もしていないのに、毎年花を付けてくれている。以前、おいしそうだなぁと、花を眺めているわが家のイヌを紹介したことがある(「『菜穂子』断章2─いざ、生きめやも」)が、強いていえば、イヌから守ってやっているくらいが世話といえば世話であろうか。そう、あと、夏の間の休眠期間に一度だけ、庭を駈け回るイヌたちにひっくり返されたことがあった。土がぶちまけられて球根も何もあったものでない状態になってしまったが、何とか拾い集めて植え直した。そのかいあってか、別段支障なく花を付け続けてくれているのである(「春眠から覚めて思うこと」)。小さいが可憐というよりは濃い黄色のかなり自己主張の強い花なので、イヌたちもちょうど鼻先で気になると見える。ちょうど先週出張中に花が開き、イヌの実害から免れるべく、家内が庭から玄関先に鉢を移してくれていたので、今年も無事花を楽しむことができている。
プリペットの足下で花を付けたクリスマス・ローズ.jpg
〔プリペットの足下で花を付けたクリスマス・ローズ〕
庭で毎年春を告げてくれる花に、クリスマス・ローズがある。初めは前の家にいた自分にひと株分けていただいて鉢植えしていたものを、ここに越してきてから株が太るに従って鉢から庭に下ろすうちに、種がこぼれるのだろうか、いつの間にか庭のあちこちに新しい株が芽生えて花を付けるようになった。これとは別に、新しい種類の株を分けてもらったのも順次庭に植えているので、庭のあちらこちらで、いろいろなクリスマス・ローズが春先に一斉に花を咲かせているのである。なぜ「クリスマス」なのに春告げの花なのかはよくわからないが、わが家の春を彩る大切な花になっている。幸い、イヌたちもクリスマス・ローズの花を食したりしようという気はいまのところないようだ。イヌたちが庭のあちこちに種を運ぶメッセンジャーとして一役を果たしているような気がしないでもないのだけれど……。

          §           §           §

外の地面には水溜まりができ始めている。天気は周期変化に入っているけれども、明日・明後日は寒気が入ってなかなか三寒四温というわけにはいかないようだ。再来週から気温は平年並みに戻るという予報なので、もうあと僅かの辛抱というところだ。本格的な春の到来が待ち遠しいところだが、春が足踏みしている分、逆にその訪れをじっくりと味わうのもまたよいものだ。開花後の気温が低めだと花のもちがいいともいう。
せめて気持ちだけでも、近づいてくる春の足音に心ゆくまで耳を傾けたいと思う。穏やかな年度末の一週間を迎えたいものである。
タグ: 日常 季節
posted by あきちゃん at 17:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2017年03月22日

旧古河庭園を訪ねる

東京には名園が多いけれど、多くは江戸の大名庭園に由来し、離宮や役所の敷地、あるいは政財界の著名人の屋敷として利用され、それがさらに公有地化されたた結果、今に伝来したものである。
六義園や小石川後楽園はその代表格だろう。その六義園のすぐそば、本郷通りを北へ下り、再び登り返すあたりにある旧古河庭園は、純粋に明治、大正期に造られた庭である。元は陸奥宗三が別邸として購入した土地だったが、次男が古河財閥の養子に入ったため、古川家の所有となり、今の名がある。古河財閥といっても、今では足尾鉱毒事件の当事者として以外には、あまり知られぬ存在だろう。
最寄駅でいうと、京浜東北線の上中里か、山手線の駒込で、田端で分かれ西と北西に腕を広げた両線のちょうど中間にあたる。近くの中里に。父の従兄弟(いとこ)住んでいて、たまに訪ねて行って再従兄弟(はとこ)たちと遊ぶ機会があると、古河庭園でも行って来たらとよく言われたものだった。だから、名まえは親しいものだったが、結局出かける機会はなく過ごしてまった。まあ、今にして思えば、子供が出かけてもさして面白いところではなかっただろう。

          §           §           §

そんな旧古河庭園に、最近思い立って行って来た。あまり期待せずに行ったのだが、これがうれしい誤算で、だいぶん復元的な整備をしているのかも知れないが、ゆっくり情緒に浸れる素晴らしい庭だった(そうした印象は、続けて訪ねた六義園との比較でさらに裏打ちされた部分があるかも知れない。もちろん六義園は六義園で深い感銘を受けたのだが、そのことはまた機会を改めることとする)。
まず目に飛び込んでくるのは、石の外壁を持つどっしりとした洋館の側面である。整備前は蔦の絡まるお化け屋敷的な様相だったらしいが、今では古河庭園のシンボルとして、落ち着いた風情を醸し出している。手前の芝生越しに眺める横顔が美しい。そして左手に正面に回れば、階段状に作られた洋風のバラ園を備えた姿が、なんと言おうか、瀟洒で明るく、チャーミングでさえある。バラには全くほど遠い季節ではあったが、枝だけのバラもそれはそれで趣がある。バラが満開になったなら、この庭はちょっと華やかすぎるかも知れない、とそんな心配さえしてしまう。
バラ園から洋館を望む.JPG
〔バラ園から洋館を望む〕
この洋館は武蔵野台地に刻まれた台地の縁に立っていて、バラ園は谷に向かうその傾斜地にある。谷の一段低くなった敷地を利用して、洋館とは全く趣の違う和風の回遊式庭園が設けられている。小川治兵衛という人の作だそうである。谷に向かって突き出る展望台からは、右手に洋館からバラ園まで、左手に日本庭園が望まれ、それらが違和感なく一体となって見る者を包み込んでくれる。椅子の腰を下ろし、しばし至福の時を過ごしたのだった。
展望台から洋館を望む.JPG
〔展望台から洋館を望む〕

          §           §           §

けっして広い庭ではないのだが、かえって隅々まで歩き回るにはちょうどよい大きさである。一筆書きで歩こうと思ってうまくいかなくて、同じ所を何度も通過したとしても、距離は高が知れているのである。その中に渓谷や滝などさまざまな要素が詰め込まれていて、見飽きるということがない。ショートカットして洋館に戻って来ようと思えば、敷地南面に東を向いて開く裏門(染井門)から敷地の南、西を廻って洋館に至る馬車道を辿ればよい。
心字池と雪見灯籠.JPG
〔心字池と雪見灯籠〕
庭のあちこちに灯籠が置かれ、それぞれに説明が附されている。途中で番号が付いていることが気になって、行きつ戻りつしながら番号順に辿ってみると、一つどうしても見つからないのがある。見落としているとしたら心残りなので、帰りに受付で聞いてみると、東日本大震災で一基倒壊したのがあったはずだとのこと。そういえば、灯籠の部品かも知れない石が置いてあるところあった。
豪快な崩石積み.JPG
〔豪快な崩石積み〕
敷地の南東隅に食い込むように大きなマンションが建っていた。庭園を望む抜群のロケーションではあるのだが、もしかしてここは元々は敷地の一部だったのではあるまいか。考えさせられることではあるが、これは何を言ってもいたしかたあるまい。
名残の梅林.JPG
〔名残の梅林〕

          §           §           §

帰路駒込駅へと辿る際、横丁を少し入って裏門の染井門を訪ねた。公園の奥に封鎖される形で、大きな門が佇んでいた。馬車の入れる入口である、方角からいってもこちらの方が都心に近いはずである。ということは、かつてはこちらの方がこの邸宅の正門だったのではないか、そんな気さえしてくる。やや登りになった庭園の馬車で歩むと、敷地の一番奥の台地上の洋館の車寄せに辿り着く。いきなり洋館の横顔が飛び込んでくるよりも、ロマンティックではないか。
染井門(馬車道への入口にあたる).JPG
〔染井門(馬車道への入口にあたる)〕
残念だったのは、洋館の内部は予約がないと観覧できなかったことである。しかも時間と人数を限ったものであるとのこと。いつか是非機会を見て訪ねてみたいものである。建物から見ると庭の印象はまた大きく変わるかも知れないし、ことに2階から望んだらどんな風に見えるか、さらなる庭の真価が隠されているようにも思うのである。
心字池から洋館を望む.JPG
〔心字池から洋館を望む〕
タグ:東京
posted by あきちゃん at 23:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2017年03月21日

いろんな列車に出会う

鉄道にはそこそこ思い入れはある。列車に乗ってさえいればいくらでも時間を過ごせる。見るのも乗るのも好き。窓から景色を見ながらボーッと過ごす極上の時間。通勤の電車は読書タイムか居眠りかの二者択一になってしまうことが多いけれど、本当は景色を見ていたい。何も考えずにただひたすら景色を楽しむ時間を忘れてから、もう随分と時が経ってしまった。
鉄道ではあっても、新幹線の景色は楽しめない。勿論、景色がよくない訣ではない。やはり速度が速すぎるのである。動体視力が良かった子供の頃はまだよかった。通過駅の駅名が全く読めなくなったらもうお終いだ。それで新幹線に乗るときは窓側の席を取り、PC持参で仕事に励むというのが常になってしまった。さらにどうせ景色を見られないなら眠る時間に充てた方が効率的という訣で、どこでも眠れるのをよいことに、夜行バスを愛用するようにもなってしまった。
そうはいっても、元々鉄道は好きだから、日々の通勤に電車に乗れるのはありがたい。いつもと少しだけ時間がずれたりすると、思わぬものに出会えたりする。この間も、西大寺駅で、「しまかぜ」に会った。回送だったようで、暫くホームに止まり、車庫に向かって走り出していった。
しまかぜに出会う(近鉄大和西大寺駅にて).JPG
〔「しまかぜ」に出会う(近鉄大和西大寺駅にて)〕
やって来たときは、おぅ、しまかぜ!と思ったものの、別段のアクションは起こさなかった。しかし、発車間際になって、またいつ会えるかもわからないという思いが強くなって、iPhoneのカメラを立ち上げてパシャッと1枚収めたのだった。一期一会、つぎまたいつ会えるかもわからない。あとで後悔することだけはしたくない。
ケータイを持つようになる前は、こんなことはまず無理だった。どんな偶然に恵まれようと、デジカメ持参という偶然が重なることはまずなかったからで、その点ケータイのカメラはありがたい。ただ、場合によっては立ち上げるのに時間を要したりするし、それに何と言っても相手はそれなりの速度のあるものだから、オートシャッターの悲しさで、ピントがうまく決まらず、シャッターが下りないことがある。このしまかぜの場合は何とか視界から抜けていく前にシャッターが下りてくれたものの、何だかちょっと間の抜けた写真になってしまった。もっともそこは偶然の産物で、反対側に新型特急が止まっていて、しまかぜのいなくなったあとを埋めてくれていた。
日々の通勤にしてからがこうであるから、出張などで列車で初めての所へ出かけたりする機会があったりしようものなら、もうそれだけで気持ちが昂揚するのである。別にカメラに収めたからといってどうという写真が撮れるわけではない。被写体としてはありふれたものでしかない。それなのに鉄道というのは本当に不思議な被写体である。童心に返るといえばそうなのかもしれない。
信楽高原鉄道貴生川駅にて.JPG
〔たぬき列車(信楽高原鉄道貴生川駅にて〕)
半世紀も前、プラレールで遊んだ日のことがなつかしい。そうだった、プラレールだけではなかった。ノートに鉛筆で蜿蜒と架空の路線の線路を描く。ターミナル駅から二つの方向に伸びる路線。トンネルあり、鉄橋あり、また駅にはたくさんのポイントがあって線路は複雑な構造となる。それを何度もめくっては、その都度異なる線路を走ったつもりになって、悦に入っていたものだった。
東急多摩川線蒲田駅にて.JPG
〔多摩川線で復活したレトロなツートンカラーの電車〔東急多摩川線蒲田駅にて〕)
posted by あきちゃん at 01:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする