2017年06月28日

梅雨まっ最中に剪定に励む

ようやく梅雨らしくなってきたが、相変わらずシトシトという感じではなく、降るときはまとめて降ってあとはカラリという、陽性の梅雨が続いている。今週は傘マークが並んでいるが、週末以降はお日さまも顔を出していて、今後の梅雨の成り行きが心配だ。
予想天気図を見る限り前線は北上傾向で、週明けには東北南部から韓国にかけて横たわる予測になっている。その後の再南下はあるのだろうか。いずれにせよまだまだ雨は足りていない。猛暑の予報に対する覚悟はできているが、もう少し梅雨にがんばってほしい。改めてごく平穏な梅雨の経過を祈るばかりである。

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 先週末は土曜日から日曜日にかけて雨がまとまる予報だったが、日曜日の朝には雨は一旦上がり、回復するかに見えた。この日は月に一度の自治会の清掃の日で、前の晩からこの分だと中止だろうと高を括っていたら、朝目覚めると降っている気配がなく、慌ててしまった。ギリギリ間に合って、夏時間だとかで通常より30分早く8時半から始まる掃除に参加する。
 掃除自体はたいしたことはないのだが、我が家は裏が遊歩道に面しているので、その我が家側の植え込み部分の草引きがいつも大ごとである。うっかりすると半日かかってしまうこともしばしばで、年を重ねるにつれ負担に感じることが多くなってきている。今時分と秋に市の草刈りが入るし、最近は自治会でも外部に頼んで一定のことをやってくれているので、いずれはきれいになるのだが、かといっていつかわからぬものをあてにしてそれまで放っておくわけにもいかない。
隣はいつもきれいにしていられるし、遊歩道の向かい側のお宅などは、自分の家の延長としての石などを並べて花壇風に整備してあって、それはそれで如何なものかとは思うが、通行する人たちの目は、やはり雑然とした方に行ってしまうだろう。

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越してきた当座は、遊歩道の草引きを仕上げたあと、家の表と裏のプリペットの生垣の剪定、そして芝刈りと、これだけを1日かけて行うだけの充分な体力と気力があった。しかし、もう最近はそんなことは到底無理で、芝刈りは言うに及ばず、剪定も片側だけでもやれればいい方だ。
今回は、幸いにも草刈りの直後だったようで、しかも雨上がりの曇り空のもと、草引きはほとんど手間を掛けずに比較的あっさりと汗もかかずに済ますことができた。これは剪定に励まねばなるまいと、ボウボウに伸び始めているプリペットを見て覚悟を決めたのだった。
 まず家の敷地の中から刈り込み、ついで遊歩道側に回って外から刈って(生垣に裏へ抜ける戸口を設けなかったがために、裏へ回るには3件先のバス通り沿いのお宅までグルリと回ってこなければならない)、その刈り枝集めをまず済ませて家の庭に運んでおく(当然グルリとまわって。生け垣越しに放り投げ入れたい思いにいつもかられる)。遊歩道の草引きに精を出さねばならないときは、引いた草と剪定した枝をゴミ置き場に運ぶだけで疲れ果ててしまうものだが、この日は幸い草引きが簡単で済んだので、枝を合わせても70リットルのゴミ袋一つで済んでしまうという奇跡的な状況だった。

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 こうして始めた剪定だったが、そんなこちらの覚悟を嘲笑うかのように、雨粒が落ち始めた。朝の予報で雨雲が通過する時間帯がありそうなのは承知していたが、こんなに早くやって来るとは思ってもみなかった上で、結構な降りになってきた。そうはいっても刈り始めた生垣を中途半端にしておくわけにはいかない。そんな訣で、雨中に剪定を決行する羽目に陥ったのだった。一件置いたお隣からも、パチパチいう音が聞こえて切る。事情はよくわかる。
ここに家を建てた15年前に一緒に植えた生垣の一部であるのに、余程栄養の周りが違うと見えて、どうしてこうもバラバラなのかと思うくらい、刈るべき量が場所によって異なる。伸びの良くないところは、これも子孫を残さなければという生き物の習性なのか、花が咲き黒い実を付ける。元気なところはこれでもかと言わんばかりに枝を伸ばす。肥料も少しはやっているのだが、顕著な効果は現れない。

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ともかく、雨だか汗だがわからない状態になりながら、裏側の剪定を終える。さて、これでシャワーを浴びてサッパリできると思って片付けを始めようとしたら、家の中から家人が声をかけてきた。珍しくご苦労さまのひとことでもあるのかと思いきや、そこのお隣との境の伸びてる木も切っといてくれる? お願いね!
どうも家人は、雨が降り出していることさえ気付いていないらしいのだ。やれやれ、と思いながらも、どうせびしょ濡れになっているんだから、と妙な男気を出して、また剪定バサミを握ったのであった。
それから30㎝ばかりも切り縮めただろうか、この日一番目に見えて上がった成果はこの隣家との境目の木を整えたことだったようだ。そんなことを思いながら浴びたシャワーは爽快だった。
雨はそれからまもなく上がったが、表側のプリペットの剪定のことはすっかり忘れて、京都から帰宅していた末娘の買物に家人とともに付き合って、貴重な日曜の午後を費やしたのだった。
ラベル:季節 日常 天気
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2017年06月17日

夢の中で目覚めて怖しい経験をした夢─夢の記憶43─

6月ももう後半に入ろうとしているというのに、この季節とは思えない爽やかな好天が続いている。例年の今頃ならもうほぼ毎日半袖で過ごしていただろう。しかし、今年はジャケットを羽織る日々だ。日中はさすがに汗ばむ陽気になるけれど、朝晩はひんやりするほど。
ごくたまに低気圧がやって来て、ある程度まとまった降りになることはあっても、グズグズすることなくスッキリと回復する。しかもその爽やかさが持続するのだ。普通だと、初め大陸から乾いた空気を運んで来た高気圧も、日本附近を通過するうちに温暖化し、天気図上いつの間にか太平洋高気圧に変質してしまうのが常だ。そしてそんな湿気の増して来た時に、ちょっとでも寒気が流れ込みでもしようものなら、途端に大雷雨に見舞われる。夏の雷雨と違ってこの季節が怖いのは、溶けきらずに地上に届いて雹になることがあるから。
ところがこんなに冷んやりしているのに最近はそれが全くない。もうこれだけこうした陽気が続くと、これが当たり前になって、いつもがどんなだったかわからなくなってきてさえいるが、こんな年はほとんど記憶にない。空梅雨になったことは確かに何度もあった。しかし、それはたいていは夏が早々にやって来る場合だった。
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〔この季節恒例にしている人間ドックで訪れた大阪市内も爽やかな好天だった。写真は大阪城大手門と千貫櫓〕

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さて、このところ、机に向かって寝てしまい、夜中に目覚めることが多い。昨晩もそうだった。お風呂の順番を告げに来た家人が閉め忘れたのか、室の扉が閉まり切っていない。目覚めが2時くらいまでだと、それからほとんど眠ったままのような状態で、シャワーを浴びにいく。
お風呂から上がったあと、すぐに休みたいのは山々だが、このまま寝たりしようものなら、翌朝髪の毛がえらいことになる。若い頃よりは随分密度が減ったし、細くもなったので、あの絶望を味わうことはまずないとは思うが、用心するに越したことはない。朝の寝癖直しほど虚しい時間はない。
幸い体が温まると、暫くは机に向かったまま眠りに陥らずに過ごせる。それで、髪が乾くまで少しだけ仕事をするのが常だ。若い頃は机に向かって寝てしまうことなどなくて、明け方近くまで仕事をしてからまとめて寝むことができた。
しかし、今ではもうそれでは身体がもたず、さっき言ったような分割睡眠方式がもっぱらだ。風呂上がりはすぐには眠くならないというのを応用するなら、机で寝てしまう前に風呂に入ればいいようなものだが、これは風呂の順番があって、そう簡単には思うに任せられないのである。

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そうして昨晩床に就いたのは4時過ぎで、90分を単位とする睡眠のあり方からすれば、たいへん効率の悪い時間だったためもあってか、おかしな夢を見た。
どうも夢の中でも机に向かって寝てしまっていたらしく、寝起きのよくない状態で目が覚めた。右手が変に痺れている。以前これのひどいのをやってしまい、完治まで3週間近くかかった苦い経験があることを夢の中で思い出していた。
ああまたか、と思いつつ意識朦朧とした状態のまま部屋から出て、玄関を開けて外に出た。そこには小さな部屋があって、いろんなものを売っていた。コーナーごとに店番のおばさんがいる。食べ物もあれば、ちょっと小洒落たグッズもある。
ひとわたり見て回ったあと、ふと以前クリーニングに出したワイシャツをここに引き取りに来たことがあったのを思い出した。いつもはハンガー仕上げで頼むのだが、畳んだぼくのワイシャツが、5枚くらい並んでいたその時の様子がはっきりと目に浮かんでくる。
そうだ、部屋にある洗濯物を出しに来なくちゃ! それでぼくは急いで家に帰ってドアを開けて自分の部屋からクリーニングに出す洗濯物を抱え、またさっきの店に戻った。
ちゃんと出したのかどうか記憶が曖昧だが、それからぼくは引き取りに行ったわけではないのに引き取った洗濯物を抱えて、家に戻って玄関のドアを開けたらしい。家人を起こさないように用心して。
すると、明かりの消えた真っ暗な玄関を入ったところに、誰かがいた。そこだけボーッと明るい。何度も出入りしていて起こしてしまったかと、怒鳴られるのを覚悟していたら、意外にもいつまでもじーっとしていて、一言も発しない。
実際には、誰かいるのを見て一目散に部屋に駈け込んだというのが正しいので、そんな悠長な話ではなかった。持っていた洗濯物がその幽霊もどきの人に当たった感触を覚えたのも構わずに部屋に駈込んだのだった。
そうしてまた寝ようとするうちに、今の光景が急に甦ってきて、その怖ろしさに身震いしたのだった。そのまま冷や汗が噴き出るのを感じつつ、震えたまま眠りに就いたのだった。あれは誰だったのだろうか。家人だったようでもあるし、そうでなかったような気もする。

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来週の予報には、水曜以降僅かだか雨マークが顔を出している。これまでも同様の予報を見てきたが、いざ蓋を開けてみれば尽く好天に転じて来た。この爽やかさであるから裏切られたという思いは全然ないけれど、いかにせんこのまま夏を迎えたのでは、水不足が心配だ。平穏なごく普通の梅雨になってくれることを切に祈りたい。
ラベル:季節 日常
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2017年06月14日

果てなき峰を訪れる(その2・結)​

その1よりつづく)5時過ぎ起床。8時間の睡眠はいつもの倍に近いうえに、寒いほどの張りつめた大気に、昨日にも増した好天が約束されて、気持ちも軽い。
6時、昨晩と同じ旧校舎に設けられたミーティングルームで朝食。朝から充分の腹ごしらえを済ませ、7時前に出発。
7時半、昨日と同じ冷水山直下から冷水山を目指す。ここの登りは昨日味わった以上にかなりのアルバイトを強いられる。しかし、やはり一度通った道は気分的に随分短く感じる。
朝の空気に包まれた山頂に飛び出した時の爽快さは昨日に勝るとも劣らない。しかもほぼ快晴の青空に映える山脈の美しさに思わず息を呑む。ことに、逆光ではあるが、大峰主脈上で天を突く釈迦ガ岳の鋭峰は、ひときわ印象的だ。
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〔朝の冷水山南面の大展望〕

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南北の大展望を存分に楽しんだら、今日は尾根を東へと辿る。幅広の自然林の尾根道は木洩れ日に溢れ、鳥たちが嬉しげに朝の挨拶を鳴き交わしている。眺望には恵まれないものの、まさに山上の楽園と呼ぶに相応しい光景が続く。ここからカヤノダン(1178mのピーク)を経て公文の崩と呼ばれる南側が大きく崩壊した地点あたりまでが、まさに果無山脈の核心、ハイライトと言ってよいと思う。
朝の清々しい空気の中を歩いたせいもあるのかも知れないけれど、それだけではないこの付近独特の雰囲気があるよう感じた。ブナの、時折老木と言っては失礼かも知れないが、それぞれに個性溢れる枝振りの風格の巨木を交えた明るい樹林帯に、快晴の空からきらきらと降り注いでくる木洩れ日を全身に浴びながら、足取りも軽く尾根道を行く。ここまでやって来て、本当によかったと心の底から思った。
同行の方の一人がふと、この「ひと」たち、夜はこの辺りを歩き回ってるんじゃあない? と言った。そうなのだ、単に静寂なだけではない、そんな生き生きとした躍動感がこの森にはあるのだ。何か命の息吹のようなもののミストの中を歩いていると言ったらよいだろうか。そんなことを考えながら、相槌を打つこともなく聞き流してしまった態で、たいへん申し訳なかったと今にして思うが、あまりに当を得たコメントで、深く頷くのがその時は精一杯だったのだった。

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公文の崩は、道からちょっとだけ外れるので、うっかりすると気付かずに通り過ぎてしまいそうだが、尾根のすぐ北側を通る自然林の道の尾根側が、ふっと窓のように明るくなっている。わずかに稜線に駈け上がればそこが崩壊部の頭に当たる場所だった。最初に登り着いた地点は、展望に見惚れていてその時は気付かなかったが、あとで横から見たら下が大きく抉れて、ヒヤッとさせられた。
果無の尾根上は道標がかなり整備されていて、ローマ字表記もあるのだが、それによれば、崩はツエと読むようだ。クエなら、笠捨山の近くにある蛇崩山に例があるのでわかるが(ダグエヤマも初めは全く読めなかった)、ツエは解せない。kがtに転化するとは思えないし、もしかしたらローマ字表記の誤記かも? などと疑ってしまう。
さて、ひと登りで到達する公文の崩の頭(1155.6mのピーク)は、公文の崩からは離れていて、歩いている感覚では無関係に思えるけれど、麓からは崩れの上に見えるピークということなのだろうか。公文谷に頭という山名表示もあったから、崩れのある谷の源頭ということかも知れない。
ここから東に下った鞍部が筑前タワで、その手前は北側の展望が開け、快晴の青い空に山々が映える。次の1117mのピークにはかわいそうに名がない。果てなく繰り返されるピークの登りがあるために邪険にされたのだろうか。これを越した次の鞍部にはちゃんとミョウガタワという名があって、大事にされているのと対照的だ。眺望のない越すだけ手間のピークよりは、ホッと一休みできる鞍部の方がよい‥
ここで時間的には少し早いが、腹時計的にはやや遅いくらいの昼ごはんにする。ヤマセミの郷で特別に用意してくれた弁当をいただく。
再び稜線を東へと辿り、1158mのピーク(これも名なし)を越え、緩やかに下ったあと、次なる目標のブナ平への登りにかかる。筑前タワからこのかた、この辺りずっとブナの巨木があって目を引く。ブナ平はブナを名にもつのだからさぞかしと期待も募る。
1258mピークから下る途中、一度僅かに登り返した標高1150m附近に、この下源助墓約5分と書かれた道標が置いてある。さあ、どこの源助さんやら知らないが、こんなところに葬られるなんて、あるいは行き倒れにでもなったのか知らんと、いろんな物語が浮かんでくる。でもどうやっていけばよいのだろう。
(帰宅してからよくよく地図を見ると、筑前タワの東から、地図上の道は稜線を離れ、1117m峰や1258m峰の南を巻き、ブナ平への登りにかかる手前で稜線を北に乗り越して北側の道に移れるようになっている。この道はブナ平の少し先で稜線に乗っているから、地図上ではブナ平のピークを通る道はないのである。
それはさておき、道標を信じるなら、源助墓はもしかしたらこの地図上に描かれた稜線を南側に外れて通る道沿いにあるのではなかろうか。次にいつ来れるか、いや来れるかどうかさえ危ういが、せめて源助さんの素性だけでも知りたいものだ。
話がどんどん横道にそれるが、源助さんの墓を訪ね当てた方もいられ、墓石の写真をアップしているサイトがあった。それによれば源助さんは姓は大谷、明治26年に78歳で亡くなり、十津川村の猿飼の人がこの墓を建てたものらしい。ただ、その方も源助さんの素性までは触れていられなかった。)

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さて、ブナ平への道は左に平坦地を見ながら、右に大きく回り込むように緩やかに登って行く。平坦地はブナ平の名に相応しく美しいブナに彩られている。ブナ平の山名板は平坦地の奥を横切ってもう少し登ったところの1 121mのピークにあったが、やはりその西に広がる平坦地こそ、リーダーが説明してくれたように、ブナ平と呼ぶに相応しかろう。
ブナ平から50m程緩やかに下ってまた登り返したピークが石地力山。1139.8mを誇る。この辺り、正直言って疲れも出てしんどかったが、それを癒してくれたのが、石地力山からの北から西にかけての大きく開けた展望だった。歩くのに精一杯で、このあと石地力山があることをすっかり忘れていて、この展望が目に飛び込んで来た時は驚いた。疲れがいっぺんに吹き飛んで行った。
ことに今日歩いて来た行程が手に取るように望めたのはうれしかった。さっき越して来たブナ平が左手前に大きく、そこから右奥へあまり起伏なく連なる山塊が延々とつづき、最奥の果無の最高峰で今日の出発点でもある冷水山に向けてせり上がってゆく。辿って来たカヤノダン、公文の崩れ、公文の崩れの頭、筑前タワ、ミョウガタワがどこに当たるかは特定できないけれど、果てなき峰をここまで歩いて来られた感慨はひとしおだった。石地力山から果無山脈を振り返る.jpg
〔石地力山から果無山脈を振り返る〕
こういう形で来た道を一望に振り返れる山はそう多くはないだろう。誇れるものかどうかは別として、人生の終わりもこんな風なのかも知れないなどともふと考えてしまう。いや、こうありたいものだ。
もっとも、今日の行程はこれから先がまだまだ長いのである。果無の名を負う地点は実はみなこの後に控えている。石地力山の次の1114mのピークが果無山、そこから下った1060mの鞍部、小辺路と合流するT字の交差点が果無峠、そしてさらにここから小辺路を下った下山地点が果無の集落である。果無山脈は、むしろ果無から始まる山並みの意味と捉えた方が良さそうだ。

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果無峠からの道は、いわゆる小辺路の一部で、信仰と物流の動脈として栄えた、西国三十三ヶ所を移した石仏が傍に安置された石畳の道となる。果無峠にあるのが、第十七番六波羅堂の観音様で、ここから果無集落に向けて、数が増えていく。途中には茶屋の跡や、天水だけで維持した田んぼの跡などもあって、結構疲労は溜まっているのに意外と距離を感じずに歩くことができた。しかも1ヶ所奥駈道を望める好展望の地があって、疲れをすっかり癒やしてくれる。果無集落へ下る道から大峰山系を望む(中央「山」形が釈迦ヶ岳、右手台形が笠捨山).jpg
〔果無集落へ下る道から大峰山系を望む(中央「山」形が釈迦ヶ岳、右手台形が笠捨山)〕
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〔八経ヶ岳から釈迦ヶ岳(拡大)〕
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〔南奥駈方面(拡大)〕
ただ、その後に続く石畳の道は、山靴だと案外歩きにくい。ことに疲れの溜まっ足腰にはこたえる。これはやはり草鞋で歩くのに歩きやすいような配慮なのだろう。稜線のブナの落ち葉がカサコソいう優しい感触の道がなつかしい。
最後は三十三番までいくのかと思いきや、二十九番の松尾寺の観音様の下までバスが上がって来てくれていて、あっさりゴール。足首を捻ることもなく降りて来られてホッとする。世界遺産の碑に立ち寄るおまけもついて、こうして二日間にわたる果てなき峰の山旅は果無集落で終えたのである。十津川温泉昴の湯から見上げる果無の峰は、高くかつ大きかった。
ラベル:奈良 季節
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2017年06月12日

果てなき峰を訪れる(その1)

なぜ果無などという地名が生まれたのだろうか。行先がわからないくらい延々と続く山々、その先にある集落だからか、はたまたそうした山々の麓にあるからだろうか。麓の果無集落から登り切った鞍部が果無峠、そこから始まる尾根に入った最初のピークが果無山、これを皮切りに西に向けて連なる1000mから1200mの標高をもつ30㎞以上に及ぶ山々を果無山脈と呼んでいる。どれが一番元の地名なのだろうか。果無集落から果無峠までは、高野山と熊野本宮を結ぶ小辺路の一部でもあるから、それとの関係もあるかも知れない。
いずれにせよ見わたす限り山また山に囲まれたところであるには違いない。東には大峰、大台の高峰が連なるものの、それとて2000mに満たない。1000mクラスの似たような山々が延々と広がるという点では、紀伊山地はかなり特異な山塊なのかも知れない。果無山脈はその中でも核心部近くに位置し、しかも紀伊半島では珍しい東西方向に長距離続く山塊である。大台よりはむしろ海からは遠く、潮岬に突き出る紀伊半島最南端の付け根に位置するといってもよいかも知れない。奈良県の最南端、和歌山県境を東西に走るこの果無山脈を訪れた。
そんな立地であるから、果無山脈を縦走するのはなかなか困難である。距離的には健脚なら1日で充分縦走は可能なのだが、なにせ東西両端とも足の便が極端によくない。早朝に発って行ってもギリギリだろう。それも車の利用が前提だが、縦走後にどうやって車を回収するかという大問題に直面する。
となると、あとは前日というか、1日めは十津川温泉泊まりでゆっくり身体を癒やし、2日め早立ちして縦走して西端の龍神村丹生ノ川に泊まり、3日めに帰途に就くという、2泊3日がかりというのが最も現実的な選択肢であろう。とはいえ、起点の十津川温泉までが八木からバスで4時間なのはまだしもで、終点の丹生ノ川からの足はどうなのだろうか。

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前置き長くなったが、そんな僻遠の地にある山に、今回はバスで連れて行っていただく幸運に恵まれた。果無山脈には稜線からほど遠からぬ所に林道が通っていて、丹生ノ川と本宮を結んでいる。しかも最高峰冷水山(ひやみずやま)の直下から、冷水山に登る道が開かれている。今回はこれをフル活用して、1日めは西へ安堵山、和田の森を経て丹生ノ川へ、2日めは東へブナの森、石地力山を経て果無峠へ下って十津川へ、という分割コースで縦走を果たそうというものである。
往路は高野龍神スカイラインを利用して護摩壇山からの眺望を楽しむという贅沢なバスツアー付きで、冷水山下からの歩き出しは12時半。地図上ではわけなく見える冷水山への道は、のっけから急登でゆっくり登って30分、急にあたりが眩しく感じられるようになったと思ったら、そこは冷水山の好展望に恵まれた山頂だった。
低木と一部遮られる部分があるが、ほぼ360度と言ってよい南北両側の展望を堪能する。さっき立ち寄って来た護摩壇山のタワーが遥かな彼方に指差せる。ここで遅めの昼食を取ったら、西へ今日の縦走をスタート。心地よい木漏れ日に溢れた明るい自然林の幅の広い尾根道である。かわいらしいカサコソいうブナの葉が主体なのだろう。落葉もどこか大峰や大台とは雰囲気が違うような気がする。こういう道は何も考えずにただ歩けばよい。それだけで心の底まで洗われる思いがする。空気が乾燥しているのか、6月の梅雨前とは思えない爽やかさである。
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〔冷水山の山頂〕

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黒尾山を過ぎ、自然林の尾根道を充分堪能した頃、道は一旦先程登って来た林道に下りる。林道というにはもったいないほどの整備の行き届いた舗装道である。やや興醒めの感なきにしもあらずだが、まだ自然林の余韻が残っているせいか、さほど気にならずにいたが、どうもここで尾根道が途切れてしまっているのは北側から上がって来る別の林道があるからのようで、暫くはこれを歩かされることになる。
やがて道は林道から離れ、静かな尾根筋を行くことになり、まもなく樹林に覆われた安堵山に着く。あまり特徴はないが名前の通り、ホッとする小ピークである。このあと、尾根道は再び林道に出たり入ったりを繰り返しながら、林道と付かず離れずしながら辿るうち、尾根道に接した林道の北側が広く伐採された箇所に飛び出した。ひょいと林道に出て壮大な展望を満喫する。
右手奥には見慣れた釈迦ガ岳の鋭峰が鎮座し、左へ八経、弥山へと続く奥駈道がくっきりと望める。正面に大きいのは、牛廻山の山塊だろう。その向こうに展開するのは、伯母子峠、三浦峠を越えて高野山へと向かう小辺路の山並みということになろうか。左手奥には、この日周知となった護摩壇山のタワーが識別できる。稜線北側の大展望.jpg
〔稜線北側の大展望。一番奥が大峰の山塊〕
このあたりはこれまであまり馴染みのなかった山域だが、その広がりとマッシブな存在感にはただただ圧倒されるばかりで、いつまで見ていても見飽きるということがない。そしてそれを南でしっかりと受け止めているのが今立っているこの果無の山々なのである。よくぞまあここまでという思いを強くする。紀伊山地の南北の奥行きと東西の幅への認識を新たにする。

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ここからは軽快な尾根道歩きが続いたはずだが、あまり記憶が定かでない。好天と好展望に恵まれた山旅をもう充分満喫してしまったからか心は軽いのだが、足、ことに太腿のあたりが張って、ちょっと疲れを感じる。静寂な和田の森も1100mの標高があって、ここからの最後の下りは結構きつかった。明日の行程を思いやりながら、小森の集落を経て、ヤマセミの郷に着く。コテージ泊まりで、山行きの泊まりとしては贅沢の極みと言ってよい。ヤマセミ温泉で今日の汗を流し、冷えたビールで喉を潤しながら山の仲間の皆さんとつつく鍋は何者にも代え難き絶品であった。21時過ぎ就寝。(その2につづく)
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〔和田の森〕
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〔稜線で見かけた芽生えたばかりのギンリョウソウ。ギンリョウソウはあちこちで見かけた。中でも、ほんとうにまだ土から顔を出したばかりのギンリョウソウは、まるで白い豆粒をばらまいたようで、一瞬何かわからなかった(写真を撮り損ねたのは残念)〕
ラベル:季節 奈良
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2017年05月30日

旅は道連れ、でない方がいい困ったひと

さて、次の急行はどっちホームに来るんだろうと、ちょうど特急券の販売窓口の上にある時刻表を見上げようとしていた。と、右腕に誰かが触れたような気がした。気にはなったが、見上げた動作を止めるわけにもゆかず、あ、4番線ね、と目的を果たしてから、いったいなんだろうと振り返ると、そこにはよく知ったTさんの顏があった。
久しぶりである。こんなところでまあ、とちょっと懐かしくなったが、一時にさまざまな思いが交錯する。積もる話をという思いが半分、ちょっと面倒だなという思いが半分、実際にはそう簡単には割り切れないいろんな気持ちごっちゃになって湧いて来る。
ただ、ぼく自身の常として、道行きはできることなら一人でいたいという気持ちが強い。旅は道連れとは正反対のものである。回りから隔絶されていたいという気持ちである。それは他人に囲まれておればこそのものといってもいいだろう。
そこに突然知った顔がヌッと現れたのである。きっと狼狽を隠せない顔をぼくはTさんに向けていたことだろう。いつも通勤に使っている駅でのことであるから、そこで一人の世界に入り込もうとしていた方が悪いといえば悪いのである。それに対して、そんなこと全く気にかけていないというようなTさんの大人の対応はありがたかった。

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しかし、である、ぼくのその後の行動はTさんにどう映っただろうか。ぼくがいたのが特急券発売窓口の前だったのがいけなかった。京都に通うTさんは特急券を買おうとしていたらしいのである。ぼくが、彼の後ろ側から失礼しようとすると、Tさんはどうぞと言って前に入るように言う。
Tさんはぼくが遠慮して彼の後ろに並び直そうとしたと思ったらしいのである。そこは特急券を買う列のようでもあったのだ。少しでも早く自分の世界に戻りたいと思っただけなのに、そのまま、じゃ、と言って言ってしまったぼくを、Tさんはどう思っただろう。
さらに悪い心配が駈けめぐり始める。もしもTさんが、ぼくが特急券を買おうとしていたと思い込んでいたのなら、急にぼくがそこから離れたのは、Tさんに出くわしたがために、特急に乗るのを止めたと感じていはしないか。それは誤解だ。
そんなことを心配するくらいなら、そんな行動を取らなければいいのに。まさにその通りなのだが、習い性なのである、こればかりはいかんともしがたい。

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ぼくは初めから特急に乗るつもりはなかった。2分後から出る急行で行くつもりで、ホームを確認しようしていただけだった。Tさんに会っても会わなくても、行動は同じだったはずである。
しかし、ぼくはTさんと別れ際に自分が発した言葉を思い出して唖然とした。お出かけ? と尋ねられて思わず発したぼくの言葉、これから東京です!
それは正直な発言である。嘘をついてなんになろうし、ぼくはそんなところで咄嗟に間に合わせの嘘がつけるような人間ではない。しかしそれが問題なのである。
Tさんはどう思うだろう。東京へ行く人間が、わざわざ混んだ急行になど乗るだろうか。ぼくの言葉は、ぼくが特急に乗ろうとしていたと、Tさんにそう信じ込ませるに十二分な働きをしたに違いないのだ。
さてそうであるならば、なぜぼくは特急券の窓口の列から離れたか。そう、まさにTさんと特急に乗り合わせるのを避けるために違いないのである。それはぼく自身の行動として充分あり得ることだからなおよくないのだが、今回は事実に反している。ぼくはそれをTさんに弁解する機会を永久に失ってしまった、そんな自己満足の裏返しに過ぎない考えに苛まれながら、混雑した急行の吊革に掴まりながら、京都に向かったのである。

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今回の場合、悩んだ挙句ではあったが、急行にしようという比較的硬い決意ががあったから、こんな強いことが書けたのだが、もしも特急て行くつもりで列に並んでいたとしたらとか、まだ悩んでいる最中だったとしたらとか、そんな場面だったらどうだっただろうか。Tさんには申し訳ないけれども、急行で行く決断を押す結果になったに違いない。それはもうぼくという一個人の個性の問題に過ぎないのである。そんな自分がほとほと情けなくなるが、それをよしとしている自分もまたどこかに見え隠れしているから、まことに厄介な話ではあるのだ。
ラベル:日常
posted by あきちゃん at 21:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする